アラサーニートの雑記帖

アラサーニートが感じたことや日々の出来事などを綴る雑記ブログです。

【小説】小川 洋子『偶然の祝福』を読みました

今回は、小川洋子さんの小説レビュー記事です。

私にとっては初めての短編連作形式の作品のレビュー。

私、小説の形式の中では短編連作が取り分け好きなんですよ。

それぞれの物語と、その背景にある繋がり、その緩やかな流れがなんだか好きで。

大好きな小川洋子さんの大好きな短編連作なので、とても楽しんで読みました。

 

小川 洋子『偶然の祝福』(2000年)

博士の愛した数式』などで知られる小川洋子さんの作品。

小説家である「私」の静かな日々に降る小さな祝福を、小川さんらしい繊細な筆致で描いた短編連作小説。

偶然の祝福 (角川文庫)

偶然の祝福 (角川文庫)

 

昨日の記事でも紹介した通り、大好きな小川洋子さん。

どの作品にも小川さんにしか描けない小川ワールドが広がっていて、そしてその小川ワールドの静かで、物悲しくて、優しい空気感が心地良いんですよね。

本作もそんな小川ワールドの魅力が溢れる作品になっていました。

主人公は小説家をしている「私」です。

生まれて間もないの息子と犬のアポロと暮らしています。

そんな「私」がひっそりと抱え続けている孤独と、そこに寄り添うものたち。

その邂逅は奇跡のように夢のように儚いけれど、そのほんのりとした、しかし確かな温かみが、読者にもじんわりと伝わってくるような作品でした。

 

短編連作との相性の良さ

この作品は短編連作の形をとっており、7篇の短編から構成されています。

短編連作とはそれぞれの短編が一篇ずつ物語として完結しながらも、短編同士の間に繋がりがあり、全ての短編が1つの大きな物語や背景を共有しているような形態の作品です。

今回は「私」の経験した出来事や過ごした日々をそれぞれ短編として語りながら、背景に「私」という大きな物語を浮かび上がらせています。

各短編に描かれている「私」が体験した出来事は、それぞれが少しずつ現実からずれています。

そして、一つ一つの物語では、あくまでその出来事の周辺のことしか語られないため、最初の2、3篇目まではそれぞれ独立したお話が並んでいるように感じられます。

しかし、一遍ずつ読み進めていくうちに、だんだんと「私」の存在が浮かび上がってくるのです。

そうして見えてくる、「私」の置かれた環境や、過ごした人生、そして心の奥に抱えている孤独は、それぞれの物語により豊かな色彩を与えてくれます。

現実と想像、悲しみと優しさ、今と昔、あらゆる境界を曖昧にする小川さんの作品は、個々の物語の境目をぼやかしていくモザイクのような短編連作という形にとても似合っていると感じました。

 

境界が滲んでいく世界

前項でも少し書いたとおり、本作に含まれる物語はどれもが全て、少し現実からずれています。

実に正統な失踪者となった叔母、不思議な巡り合わせで手元に戻ってきた万年筆、息子の睾丸と「私」の背中から失われてしまった言葉。

こんな風に書くと、それはファンタジー的であったり、全く意味不明ですらあるのですが、この作品の中で、それらは確かに現実として、違和感なく存在していました。

「ああ、ここはそういう世界なのだ」ということを、一切の説明を挟まずに受け入れさせる力が、小川さんの文章にはあります。

普段であれば、そんなのあるわけないよ、と思う出会いも現象も病気も、この作品の中ではただ「ある」のです。

「私」の住んでいる世界は、私たちの生きている世界と地続きの、どこかちょっと遠いところなのだと思います。

パラレルワールドみたいだな、と感じたりもしました。

私の世界とはちょっと違うけれど、もしかしたらそれは私が生きていてもおかしくなかった世界なのではないかと。

私の生きる世界と「私」の生きる世界、その境界は淡く滲んでいて、だからこそ私は、もうひとつの世界で生きる「私」を、不思議なことばかりのはずのその世界を、こんなにも自然に感じるのだろうと思います。

 

失ったものと訪れたもの、書くことの苦しみと救い

作中で「私」は様々なものを失います。

叔母に弟、リコーダー、万年筆、そして言葉。

二度と戻らないものもあれば、戻ってくるものもあります。

逆に「私」の元に訪れるものもあります。

弟を失ったという女性、「私」の弟を名乗る男性、首にちょうちょの痣を持つおじいさん、そして息子。

訪れるものの多くは、少しの時間を共に過ごした後に、「私」のもとを去っていきます。訪れ、そして失われていく。

今の「私」に寄り添うのは、息子とアポロと、そして言葉だけです。

犬のアポロはもちろん、息子だってそのうちに失われていくでしょう。

そう考えると、「私」が本当に手にしているのは言葉だけなのでしょうか。

作中で「私」は何度も書くことに悩み、苦しんでいます。

しかし、彼女は書くことによってしか救われないなにかを抱えている。

これは作者である小川さん自身を反映しているのかなと感じました。

失うものも、訪れるものも、等しく言葉の中に眠っていくのだと思うと、そこにある一生はなんて静かで美しいんだろうと思います。

現実とも虚構ともつかない美しい物語と、そこに生きる人物たちのひそやかな体温と息遣い。それらをそっと覗き見る、素敵な時間でした。

 

 

本作中に「バックストローク」というタイトルの小説が作中作として出てくるのですが、語られているそのあらすじになんだか覚えがあるなと思って調べてみたところ、『まぶた』という短編集に入っている作品でした。

『まぶた』はこの『偶然の祝福』の1年後に出版された作品ですが、私は先に『まぶた』の方を読んでいたので、これは現実で読んだことがあるぞと思って、より現実と虚構の境が曖昧になった感じがありました。

実は小川さんの作品には、他にも作品間でリンクが色々とあるようなので、そういった繋がりを見つけていくのも楽しそうですね。

あの不可思議な小川ワールドが作品を超えて広がっていると思うとワクワクします。でも、なんとなくですが、小川ワールドの中でさえ、お互い少しずつずれて、パラレルワールドのように重なっているようなイメージがあります。

これからも、どんな世界を見せてくれるのか本当に楽しみです。

皆さんもぜひ覗いてみてくださいね。

【今週のお題】お気に入りの作家さんたち4名をフワフワと紹介します

いつの間にか9月も終わりに近付いていますね。

まだまだ暑い日もありますが、空の色や朝夕のひんやりとした空気、鮮やかに咲き乱れる彼岸花が秋の訪れを告げています。

さて、秋と言えば食欲の秋、読書の秋、スポーツの秋などと言いますが、こう並べてみるとなんでも良さそうですよね(笑)気候が良いから何するにも良いよーということなんでしょう。

そんななんでもござれな秋の訪れを感じながら、今回は「今週のお題」に沿って、読書の秋をテーマに書いていきます。

 

今週のお題「読書の秋」

と言いつつ、実はちょうど1週間ほど前に、読書に関する記事を書いたんですよね、私。この記事です。

zakkicho.hatenadiary.com

もうばっちり読書について語ってるんですよ。

数日後にお題を見ると「読書の秋」になってて、しまったなーと思いました(笑)

読書に関して思っていたことは結構書いてしまったし、その記事でも書いている通り、私は読んだ本の内容をすぐに忘れてしまうので、なかなか昔読んだオススメの本の紹介記事なども書き辛いのです。

というわけで今回は、あまり特定の作品には触れずに、私の好きな四名の作家さんたちに関して、フワフワした感じで紹介してみることにしました。

作家さんたちの持つ文章の特徴やその世界観・空気感なんかをお伝えできればな、と思います。

(※「私のオススメ」に関しては、代表作以外から選出するようにしています。)

 

小川洋子さん

博士の愛した数式 (新潮文庫)

博士の愛した数式 (新潮文庫)

 

代表作:『薬指の標本』、『博士の愛した数式』など

私のオススメ:『海』、『やさしい訴え』

まず一人目に紹介するのは、小川洋子さんです。

この方の作品の特徴はその静謐な空気ではないかなと思っています。そして、独特の世界観。

非現実的な設定が度々出てくるんですが、世界のどこかにきっとこういう場所があるんだと思ってしまうような、読者をすっとその世界に導いてくれる文章を書く方です。

日常と非日常の境をぼかしてしまうような。

小川さんの作品を読むと、淡いトーンの水彩画をよくイメージします。

静かに、淡々と、優しく、悲しく、慈しむように生きる人々を描き出し、読んでいる間も読み終わってからも、気持ちがゆっくりと動くのを感じます。

私のまだ知らない世界で生きる誰かのことをそっと教えてくれるような、そんな作家さんです。

短編も多く書かれていますので、読書初心者の方にもオススメです。

道を一本隔てた先に、森を抜けた先に、湖の裏側にあるかもしれないそんな世界を、ひっそりと覗いてみませんか。

薬指の標本 (新潮文庫)

海 (新潮文庫)

やさしい訴え (文春文庫)

 

星新一さん

ボッコちゃん (新潮文庫)

ボッコちゃん (新潮文庫)

 

代表作:『ボッコちゃん』など

私のオススメ:『悪魔のいる天国』、『マイ国家』などなど(正直どれを読んでも面白い)

二人目は言わずと知れたショートショートの神様・星新一さん。

ごくごく短いページ数の内にあっと驚く仕掛けを持った楽しい物語が展開される星新一さんのショートショートの世界。

そこには、読書の楽しさや驚きがぎゅっと凝縮されています。

エヌ氏やエフ氏など、固有名詞を持たない主人公たちが、近未来や異世界を連想させる世界で息づき、多くは予想外の出来事に翻弄されていきます。

とにかく短いということ、そして物語がわかりやすく、楽しい驚きに満ちていることから、よく読書初心者にもオススメされます。

星さんは一生のうちに1000篇以上のショートショートを生み出しており、私はそのうちのかなりの数を読んだと自負していますが、どれだけ読んでも飽きることなく、読む度に新しい展開にいつも楽しませてもらっていました。本当にすごい。

私のオススメを一応あげてはいるのですが、正直どれでも面白いです。

一生のうちに読まなければ損な作家さんの一人だと思っています。

悪魔のいる天国 (新潮文庫)

マイ国家 (新潮文庫)

 

姫野カオルコさん

ツ、イ、ラ、ク (角川文庫)

ツ、イ、ラ、ク (角川文庫)

 

代表作:『ツ、イ、ラ、ク』、『ハルカ・エイティ』など

私のオススメ:『変奏曲』、『部長と池袋』

三人目は姫野カオルコさん。

この人は、なんというか独特な作品を書かれる方だなと思っています。

イメージとして、昔の文学作品のような文体や雰囲気で、性であったり信仰であったり、そういう生々しいものを描き出しているような、不思議なギャップのようなものを感じる文章を書く方です。

幼少期をキリスト教の宣教師宅で過ごした経験からか、キリスト教の教えがよく作中に登場したりと、一読して理解するのが難しかったりもするのですが、そういった部分も含めて、なぜだか引き込まれてしまう魅力ある作品が多いです。

一般的にちょっと変わっていると言われるような個性を持つ主人公たちが、己をそのままに貫いていくようなお話が多いかなと思います。

私の中で説明し辛いけどなんか良い!作家さんです(笑)

作品によって語り口が結構様々に変わるところも面白いのですが、それでもなお根底にあるギャップというか、不思議な違和感がなんだかクセになります。

好みが分かれるかもしれませんが、ハマる人にはハマると思うので、気になる方はぜひ一度読んでみてください。

ハルカ・エイティ

変奏曲 (角川文庫)

部長と池袋 (光文社文庫)

 

アレックス・シアラーさん

チョコレート・アンダーグラウンド

チョコレート・アンダーグラウンド

 

代表作:『チョコレート・アンダーグラウンド』など

私のオススメ:『青空のむこう』、『スノードーム』

ラスト四人目はイギリス人作家のアレックス・シアラーさん。

この方は児童~ティーン向けの作家さんとして有名ですが、大人が読んでも楽しめるような作品ばかりです。

私は海外の方の作品をあまり読まないのですが、中学の図書館で『青空のむこう』に出会って読んでみたところ、あまりに素敵なストーリーに感動して、それから何年か新しい作品を見つける度に読んでいました。(『青空のむこう』が個人的にイチオシです!)

若い人向けの作品で、ストーリーとしてはわかりやすいのですが、しっかりと練られた設定と、丁寧な人物描写でファンタジックな世界観に現実味を与え、子供向けだろうと侮って読むと気持ちを持っていかれちゃいますよ。

チョコレートや幽霊の世界、スノードームやデパートなど、子供の頃誰もが心惹かれたモチーフたちから、優しく、しかし目を逸らせない現実もしっかりと描いた物語が展開されていきます。

ほとんど文庫化されていないので、購入するとちょっと高くなってしまいますが、図書館などにも置かれていると思いますので、気になる方は手にとって見てください。

大人も子供も楽しめるファンタジー冒険譚に、きっと時間を忘れて夢中になること請け合いです。

青空のむこう

スノードーム

 

 

今回は、私の好きな作家さんの中から4名選んで紹介してみました。

特に選出理由などはありません。フィーリングです(笑)

個別の作品にも詳しい経歴などにも触れずの紹介になったので、もっとちゃんと書けよ!と思われた方もいらっしゃったかもしれませんが、私自身が感じているそれぞれの作家さんの魅力はなんとなく伝えられたかな、と思うので満足です。楽しかった。(自己満足)

今回結構楽しく書けたので、気が向いたらまた別の方たちの紹介記事を書いてみるかもしれません。

どの方も本当に素敵な作家さんたちばかりですので、良ければぜひ読んでみてください!

ブログにどこまで曝け出すのか

今月も毎日更新の誓いを破ってしまったジャムです。

毎日書いていると、2日も書かずにいるとすごく久々のような気がしますね。

実は一昨日精神的に落ちてしまっていて、久しぶりにものすごくどん底の気分で、ブログを書こうと何度かPCの前に座ったものの、なにひとつ頭に浮かんでこなくて更新を諦めてしまいました。

特になにか大きな出来事があったわけでなく、小さなことがたまたま重なってのダウンだったので、昨日はある程度回復して、割と気持ちよく過ごして、一昨日の精神的な落ち込みとその回復についての記事を結構書き進めていたのですが、ふと、どこまで自分のことをブログに書こうか、と自分の中で迷いが出てしまって、結局公開せずに終わりました。

今日はそんな自分の中での迷いについて書いていこうと思います。

 

ブログでどこまで自分のことを曝け出すのか

私はこのブログにおいて、リアルな人との繋がりをほぼ作っていません。

リアルと繋がっているSNSでの宣伝もしていませんし、ブログをしていること自体を伝えることはあっても、サイト名などは一切教えていません。

単純に恥ずかしいということと、リアルと繋げてしまうと書ける内容に制限ができてしまうからです。

私がこのブログを書いていると知っているのは恋人だけ。

それなので、家族のことや仕事のこと、ある程度自由に書きたいことを書いています。

しかし、書けるからと言って、じゃあどこまで書いて良いんだろう、このブログに私はどういったことを書いていきたいんだろう。

昨日、自分の落ち込んだ気持ちなどを書きながら、改めてそういった疑問を持ちました。

 

ありのままの自分になるの?

このブログは雑記ブログで、もともと大きなテーマもありません。

自分の感情や家族のことについても書いてきましたし、私自身他の人のそういったものを知るのが好きなので、それ自体は書き方を考えればコンテンツとしても悪くないのではないかと考えています。

しかし、昨日書いていた記事は、なんとなく出すことに戸惑いが生まれました。

その理由のひとつは、このブログの存在を知っている恋人との間のことについて書くことになること。

そして、互いの信頼関係によって結ばれている恋愛関係の中で、普段見せない顔も見せてくれているであろう二人の間のことを、様々な人が見る可能性のあるブログという場所に書き残すことにも抵抗を感じる部分もあります。

もうひとつは、昨日表に出そうとしていた記事は、もしかしてチラシの裏や日記に書くべき感情の吐露に過ぎないのではないかと思ったからです。

私のブログで、収益もなにも出ていない、本当に趣味のものではありますが、そこにただただ感情を吐き出すという行為は、なんだか違うのではないか。そんな気がしました。

家族について書く記事となにが違うのかと言われると、自分でもちょっと説明し辛いのですが、昨日は自分を慰めるためだけに書こうとしていた私がいたように思います。

もちろん、そういう風にブログを書かれている方もいて、私自身はそういったものも興味深く読んでいます。(むしろ好きだったりします。)

しかし、今まで続けて作ってきたこのブログにはそれはきっと合わないし、私自身、そこまで曝け出すことはできないのかなと感じています。

 

どういうことをどういう風に書いていきたいのか

このブログではこれまで、レビューだったり考えたことだったりを主に書いてきました。

感情にまつわることでも、ある程度自分なりに考えて、皆さんにも共感やちょっとした気付きを持ってもらえるかなと思う切り口で書いてきたつもりです。

読み物として面白いと思ってもらえるようになりたいと秘かに思っていたりするのですが、変に真面目なところや自意識過剰なところが出てしまって、なかなか吹っ切れた文章を書けずにいます。吹っ切れるためにリアルとリンクさせていないのに、なかなか難しいですね(笑)

そのあたりは書いていきながら、心構えも文章も徐々に形作っていけると良いのかなと思っています。

今回、自分のためだけに書く文章を公開するのは、このブログとしてはなにか違うという気付きを得ました。

もしかして、うまく皆さんに伝えられるようになったら、一昨日自分の中にあったものをブログに書く日がくるかもしれません。きっとその時は私の中である程度消化できたときなのかな、と思います。

そうか。消化しないままの気持ちを、昨日はただ吐き出そうとしていたのかもしれないですね。モヤモヤをモヤモヤのまま、ただ見せようとしてしまっていたのかもしれません。

私は私自身の見た世界を、こういう風に見えているよ、こういう感じ方もあるよ、と色んな方と共有したいと思っています。

そのためには多分、同じモヤモヤでも、私自身がしっかりとそれを考える下地ができていないといけないのかなと感じます。

考えることを放棄した文章は載せない。こういうことかな。

そんな感じで、自分の中を一度巡らせたものを書いていくようにできたらなと思います。

 

 

こんなことを書きつつ、過去の他の記事とかですでに考えてない文章を投稿してしまっている気がしなくもなくてちょっと恥ずかしいのですが、これから気をつけます(笑)

さて、読むのもサボっていたので、皆さんのブログを読んで色々吸収するぞー!!

車の運転超苦手⇒ちょっとマシになったので、そこまでの道のりやポイントを語ります

まだブログを初めて間もない6月の半ば頃、私はある記事を書いていました。

こちらの記事。

zakkicho.hatenadiary.com

車の運転苦手だよー!怖いよー!という記事です。

一人暮らし中はほとんど車に乗る機会のなかった私。元々苦手だった運転ですが、さらに見事なペーパードライバーぶりがたたって、実家に戻ってすぐに、実家の敷地内で車に結構な傷を入れてしまう大失態をおかしました。

それでさらに苦手意識が深まり、上記のような記事を書いたわけですが、それから徐々に車を運転する機会も増え、最近ちょっとマシになってきたかも!と感じるようになったので、もしかしたら同じように運転が超苦手な方のちょっとした参考程度にはなるかもしれないと思って、今回、私のちょっとマシになった体験談を書くことにしました。

※本当に運転超怖い・超苦手という方向けです。ちょっと苦手かも、くらいの方は私より運転が上手く、参考にならない可能性が高いですのでご了承ください。

 

上達には実践あるのみ

いきなり結論なんですが、私がここ3ヶ月ほどで強く感じたのは、やっぱり上達するには実践しまくるしかないんだ、ということです。

とにかく車に乗ってハンドルを握る。

走りも駐車も実践あるのみです。

しかし、いきなり一人で乗り回すのかと言われれば、運転が超苦手だと感じている人たちにとっては、それはなかなか難易度が高いです。それにやっぱり危険もある。

さらに、無理をして失敗してしまえば、運転に対してより苦手意識が強まる可能性もありますし、車の失敗は取り返しのつかない事態になる可能性だって低くありません。

私の場合は、次のような感じで簡単なことから始めて、徐々に慣らしていきました。

  • 短い距離⇒長い距離
  • 慣れた道⇒知らない道
  • 大きい道⇒細い道
  • 走行のみ⇒駐車など全て
  • 同伴者あり⇒一人で

 

一人で運転するのは高い壁がある

最初の頃は、母や弟など運転に慣れた人に助手席に乗ってもらい、よく行く近く飲食店から自宅までなど、慣れた道、しかもその中でもできるだけ大きい道ばかりを走ることから始めました。

その上、駐車は苦手意識もかなり強く、また車を傷つける可能性もあるので、駐車は母や弟に代わってもらっていました。

つまり、一番最初に私がやっていたのは、誰かに同伴してもらった上で、知っている大きい道をただ走るだけでした。

それで運転自体への拒否感が薄くなり始めた頃に、同伴者はもちろんありの状態で、あんまり知らない道や、ちょっと細い道、停めやすい駐車場などに挑戦するようになりました。

最初の拒否感や強い恐怖感が抜けてくると、隣に家族が乗っていてさえくれれば、ある程度色々なことに挑戦するのにそれほど抵抗はありませんでした。(上手くできるかどうかは別として)

一番時間がかかったのは、一人で車に乗ることでした。

慣れた道だろうが、大きな道だろうが、一人だけで運転するということは、私にとってかなり勇気のいることでした。頼れる人がいないというのはやはり心細いものです。

車に乗るようになって2ヶ月ほど経ってようやく、知っている道でどうしても乗るしかないなら・・・、といった感じになりました。

同伴者がいた時と同じように、慣れた大きな道から始めて、最近やっと知らない道や少し細い道も走れるようになってきました。

一人なので駐車は強制的にやらなければならず、駐車に関してもだいぶマシになってきたと思います。

ざっと流れをまとめると下記のようになります。

  1. 同伴者ありで、知っている道・大きい道の走行のみ
  2. 同伴者ありで、知らない道・細い道、駐車などもやってみる
  3. 一人で、知っている道・大きい道の運転+駐車
  4. 一人である程度運転できる!

大事なのは、無理せず徐々に慣らしていくことかなと思います。

出来る限り同伴者ありの状態で色々練習する機会があると、だいぶ苦手意識も薄れて独り立ちしやすいです。

 

わかったら運転しやすくなったポイント

これまでは、上達までの流れを見てきましたが、練習する中でこれがわかったら運転しやすくなったと感じたポイントがあったので、そちらを紹介していきます。

 

ミラーを活用すべし!

まず、私が一番運転しやくなったと感じたのは、ミラーの活用を覚えたこと。

運転で使うミラーといえば、ルームミラーとサイドミラー、そして車の設備ではないですがカーブミラー。

私は最初の頃、これらのミラーの有効活用ができておらず、視野が相当に狭い状態で運転していました。

前ばかり見ていましたし、後続車の確認なども、全てを直接視認しようとしていました。

ミラーの確認とか教習所でも習ったはずなのに・・・。

特にサイドミラーに関しては、角度によって見える範囲が大幅に変わり、思っていたより広範囲をカバーしていました。

車線変更などでの後方確認はもちろん、駐車の際など、角度を変えることで、障害物のある部分をぴったりと捉えることができることも多いです。

ミラーで確認したからといって直接確認を怠ってはいけませんが、最初にミラーで確認できるとしっかり意識しておくことで、運転がかなりスムーズになりました。

 

意外とみんな停まって待ってるから焦らなくて大丈夫

私は、細い道や右折待ちで長く停まってしまうと、なんだか後ろの人に申し訳ないと思って焦ってしまうことが多くありました。

しかし、自分がそこそこ運転するようになってみると、私が思っていた以上にみんなよく停まっていることに気が付きました。

なんだか自分は運転が下手だから長く停車してしまっていて、他の人たちは基本的にスムーズに、停まったとしてもベストな位置で僅かな時間だけ停まっているのだと思っていましたが、そんなことはありませんでした。

みんな意外と長く停まって、しっかり待っています。

無理をすれば事故に繋がる危険性があるのですから、落ち着いて考えたら当たり前ですよね。

だから、細い道も右折も、自分が大丈夫だと思えるだけ待って大丈夫。

それを実感できてから、運転への拒絶反応がだいぶなくなり、比較的冷静に車を動かせるようになりました。

 

駐車は細かく切り返せばなんとかなる

駐車は今でも苦手ですが、なんとか一人で停められるようになりました。

ポイントは一発で入れる必要はないと意識すること。

細かく何度も切り返していけば、いずれはなんとか納まります。

焦らずゆっくりちょっとずつ切り替えしていけば、車は結構狭い場所でも意外と向きを変えられるものなのだと実感しました。

もちろん広い駐車場で何度も切り返しちゃう私はカッコイイとは言えませんし、他の方の邪魔になっている場合もあるかとは思いますが、超苦手⇒ちょっとマシになってきているところなので、そこは致し方ありません。

最大限に頭を下げますので、「チッ、こいつ運転超下手だな」と内心思うに留めて許して頂けると助かります。

前述の細い道や右折の際の待ちもそうですが、基本的に「下手だからしょうがない。がんばるのですみませんが今は許して」とある意味開き直るくらいの気持ちでいきましょう。

 

 

車の運転超苦手な皆さん、いかがでしたでしょうか?

はじめは運転超下手でも、ちょっとずつ慣らしていって乗り続けることで、普通に下手くらいまでにはとりあえずなれました!

以前は多少無理をしても歩ける距離なら歩く派でしたが、最近は逆に車で行けそうなところは車で行ってみようと思えるようになって、初めて行く場所にちゃんと辿り着いたり、ちょっと難しそうな駐車場になんとか停められた時などは、結構達成感があったりして面白みも感じています。

まだまだ下手の域を出ませんが、以前に比べて明らかに上達を感じていますし、一人で運転できるようになったことで、家族の手伝いで出来ることが増え、気持ち的にも少し上向きになったように思います。

ただ、こういう時が油断して事故を起こしやすいとも思うので、気を引き締めて、無事故無違反、ペーパーじゃなくてもゴールド免許を守れるように運転を続けていきたいと思います!

自分が正しいと思っている人同士の話し合いは聞いているだけで疲れる

今回はただの愚痴です。ごめんなさい。

このブログでは何度か書いていますが、私の母親は気が強いです。

そして、自分は正しいと考えて譲らないタイプ。

そんな母の元に、今日同じタイプの方が訪ねてきました。

母がやっているとあるグループの集まりに関して、弟が今運営側で入っているのですが、その弟の不手際に対して注意と苦言を伝えにきたようでした。

仮に訪ねてきた方をAさんとします。

 

トラブルの内容

母の運営するグループは最近運営担当の入れ替えを行ったようで、Aさんから弟やB君(弟の友人)たち若いメンバーに引継ぎが行われている途中です。

今回が弟たちにとって初めての集会運営の仕事だったようです。

次にある集会の資料作成に際して、前回担当していたAさんに資料のテンプレートをもらえるようにお願いしていた弟たち。

資料は本来複数ページからなるもので、集会の案内や提案、会計的な内容などがあり、会計部分はB君が担当するようになっていました。

そこでAさんは弟の担当分は弟に、会計部分はB君担当なのでB君に、とそれぞれの担当ページのみをそれぞれに送付したようでした。

結果、弟のもとに届いていたのは集会案内のフォーマット1枚のみ。

前回の資料は複数枚だし、本当にこれで大丈夫なのかと思った弟は、Aさんに電話で1枚しかないけど大丈夫ですか、と確認を取り、Aさんもその時はそれで大丈夫だと答えたそうです。(母もその電話を聞いており、どうやらそのことは間違いなさそうです。)

もともと集会の1週間前に参加者に資料をデータで送信することになっていますが、Aさんからの回答を受けて、事前配布は集会案内の1枚のみ、残りの資料は当日配布と考えた弟は、B君とともにその日程で動いていました。

そして集会前日となった今日、Aさんが、送られてきた資料が完全じゃない、案内だけじゃないか!とやって来られたわけです。

 

Aさんと母のバトル

Aさんが来られた時、たまたま弟が不在だったため、母が対応することになりました。

「弟君からきた資料揃ってないみたいだけどちゃんとやってるの?」といきなり切り口上のAさん。

もともと弟の動きが少し遅く、資料に関しては母も急かしていたので、その旨を告げるとともに、「でも案内は先日送ってますよね?」と確認する母。

そもそも1週間前までに全ての資料を揃えて送るのが当然と主張するAさんに、でも弟はAさんに電話で何度もその旨確認していたはずだと反論する母。

主張自体を聞いていると、Aさんのテンプレートの送り方(担当部分のみを担当者に送信)というのは微妙だなと思いましたが、事前送付が案内のみになってしまった経緯も、Aさんと弟たちの認識のずれの問題だし、弟たちも初めての仕事ならはやめに進めて、完成したものを確認してもらうとかしとけば良いのに、とは思いました。

しかし、Aさんはなんというか、自分の非を認めない、煽るような物言いでそれだけでイライラさせられてしまうのです。

「俺が思うほどみんな賢くなかったんだね」

「みんなこんなことはわかると思ってた俺の方がバカだったね」

「あなた(母)の言っていることは間違いで、俺のやり方が正しいんだよ」

私は会に関係しておらず、その場に居合わせただけだったので、ただ聞いているばかりでしたが、内心なんだこいつ!?とイライラがすごかったです。

対して母も、自分の息子のことでこんな風に言われているわけなので、当然ヒートアップしながら反論しまくります。

しかし、母よ。あなたももうちょっと冷静になって・・・。

「私の参加した他の集会ではこうだった」

「私はこんな風にやっていた」

あなたが正しいとは限らない!と主張したいようなのですが、結局母も私が正しいモードに入ってしまい、話は主題からずれていきます。

この人たち、なに話してるんだろ・・・。

 

自分が正しいことを主張するだけのやり取りは時間の無駄でしかない

母と一緒にいると、前述のように、「私はこうだった」「私はこう思う」ということばかりを言い募り、結局なんのために話しているのかわからない、というような状況をよく目にします。

今回の場合は、相手のAさんも似たようなタイプなので、余計にその傾向が強かったように思います。

そもそもAさんは何をしにいらしたのか。

わざわざ来てくださったのだから、「弟たちの仕事がちゃんとできていない」に加えて、なにか伝えたいことがあったはずです。

だから今からでも良いからやってほしい、なのか。今回はもういいけど次回からは気をつけてくれよ、なのか。なにかしらあったと思うのです。

しかし、Aさんは前述の通り、「期待した俺がバカだった」「俺が正しい」を繰り返すばかりですし、母の方も「私の場合こうだった」「あなたが正しいとは限らない」を繰り返すばかりです。

話はずーーーっと永遠に平行線のままで、お互い着地点を確認しようともしない。

延々と続く言い合いに、参加もしていない私の方がストレスマックスで消耗していきます。

お互いもういい大人なんだからさ、冷静に、最低限の節度を守って話そうよ。

そう、節度ですよ。マナー。

相手に出来る限り嫌な思いをさせないように配慮するのは、会話のマナーではないですか?

「これできてなかったよ。今からでも完成させて。orこれからは気をつけてね。」

「息子もここは確認をとって進めていましたよ。でもこの部分は悪かったし伝えておきます。」

とりあえず、これだけで済む話じゃないですか。

カチンと来て反論したくなる場合があるのはわかります。私だって弟のこと必要以上に悪く言われて結構ムカついてはいましたよ。

でも、それをその感情のままに表に出すのは大人のやり方じゃないと思っています。

どうしても譲れない部分は主張すべきと思いますが、あくまで冷静に、相手に投げつけて押し付けるのではなく、「伝えて」「理解してもらう」姿勢でいるべきだと思いますし、相手にも相手の主張があって、自分もそれを「聞いて」「理解しよう」とする姿勢が大切だと思います。

「私が正しい」と言い合うことに終始するだけなら、その時間は完全に無駄であるだけでなく、互いに嫌な思いまでしてマイナスになるばかりです。

反りが合わないなら余計に、必要最低限のやり取りだけして離れればいいじゃないですか。

だから苦手な相手なら余計に、「話の目的・着地点はどこか」「どうやって折り合いをつけるか」そういう部分をはっきりさせて、感情的なやり取りは避けた方がはやく済むはず。

相手が熱くなればなるだけ、冷静になれる強い精神力が欲しい・・・!

 

 

ダラダラと書いてしまいましたが、結局言いたかったのは、会話は思いやりが大事ってことでしょうか。相手のためにも。自分のためにも。聞かされる人のためにも(笑)

あと、初めての仕事は早め早めに確認して進めておくべき。

Aさんの言っていることの半分くらいは間違ってなかったぞ、弟よ。

そして、こんな愚痴を2700字も書いてしまって、私が皆さんを疲れさせてしまったかもしれない、と今さら思っています。すみません・・・。

偉そうなことを書きながら私が冷静ではなかったな、と反省しつつ今日はこのへんで失礼致します。(やっと冷静になってきた)

仕事から早く帰りたい私がやっていたこと4選

今回はニートのくせに仕事のこと、しかも仕事術みたいなことを偉そうに書きます。

嘘です。謙虚な姿勢で書きます。

今まで仕事に関しては、コールセンター、飲食業とアルバイト関係の体験談のようなものを書いてきましたが、今回は前職の事務職時代の経験をもとに、とにかく早く帰りたかった私が実践していたことを書いていきたいと思います。

 

仕事に対するスタンス

まず、前提として、私の仕事に対するスタンスを書いておきます。

私は今年29歳のがっつりゆとり世代なので、仕事とプライベートなら断然プライベート優先です。

仕事のモチベーションは「お金を稼ぐ」が9割でした。

それなので、なるべく始業時間のギリギリに出社し、なるべく早く帰りたいと思っていました。

もちろん、お給料を頂いていますので、就業時間中は精一杯集中して仕事をし、成果をあげられるように心がけていました。

つまり、私が大事にしていたことは、どれだけ短い時間で効率よく、納得のいく仕事をするかということでした。

 

早く帰るためにやっていたこと

定時に帰りたい!と思っていても、もちろんなかなかそういうわけにもいかず、必要な場合は残業をしていました。

していましたが、他の人に比べると仕事量に対しての残業は減らせていたように思います。

やっていたことには大まかに下記の4つです。

  1. やることリストでタスク管理
  2. 依頼は安請け合いしない
  3. 残業する日、しない日の調整
  4. キャラクター作り

それぞれ具体的に見ていきます。

 

1.やることリストでタスク管理

基本的に、業務終了時に翌日にやることを書き出していました。

次の日はそれを見ながら仕事を進め、やり終わった項目は線を引いて消していきます。

PCなどでの管理も可能かとは思うのですが、好き勝手に書き込めるので、こういったメモなどはいつも手書きしていました。

やることリストは基本的に一日ごとに新しくして、その日に終わらなかったものは翌日のリストに再度書き入れておきます。

また、タスクを書き込むときに、午前中までのものは「アサイチ」と書いておいたり、締切の日まで余裕があるものは下のほうにまとめたりと、優先順位が自分でわかるようにしていました。

基本的に、一日の仕事はやることリストのその日マストのものに全て線を入れられれば終了しても大丈夫、ということになります。

ただ、私は手書きの方が馴染んだのでこうしていましたが、PCやスマホなどの方が使いやすい場合は、もちろんそれで問題ないです。

大事なのは、やるべきことをしっかり把握して、その中で優先順位をつけておくこと。

そして、それを漏れなく丁寧にこなしていくことです。

 

2.依頼は安請け合いしない

タスク管理をばっちりしていても、不意の依頼が入ることも多いですよね。

そういうときは絶対に安請け合いしないようにしていました。

前職の会社は「NOと言わない」を良しとするような社風でしたが、私は「なるべくNOと言わない」くらいの気持ちでやっていました(笑)

依頼を受けるときは、必ず下記の3つを確認するようにしていました。

  • やるべき内容は具体的になにか
  • 締切はいつか
  • 自分の今持っている仕事とどちらが優先か

どれも当たり前なのですが、体育会系の社風で、上司がさらに上の上司からの依頼で仕事を持ってくるときなど、結構ふわっと伝えてくることが多かったので、その場合も必ず「OKを出す前に」自分から確認するようにしていました。

確認した上で、締切がきつい場合や、先に持っていた仕事が厳しくなりそうな場合などは、必ず「その場で」その旨を伝えて交渉します。

締切を延ばせないか、誰かに手伝ってもらえないか、今やっている仕事を他の人に回せないかなど、具体的にどうすればできそうか提案をすると、上司の心象も多少良くなるかと思います。

仮に交渉が通らなくても、そのときに現状を伝えておくことで、後々の調整などをしやすくなる場合があるので、私はダメ元でも必ず伝えるようにしていました。

NOのパターンを先に書いてしまいましたが、条件を確認して問題なく出来そうな場合は感じ良くOKを出し、なるべく迅速に仕上げます。

そうやって、普段から信用をあげておくことで、NOを伝えたり、交渉するときに話を聞いてもらいやすくなります。

こうやって、出来る限り自分の能力の範疇でなるべく残業しなくて済むように仕事量を調整していきます。

 

3.残業する日、しない日の調整

前述した通り、仕事量的に毎日定時あがりなんて難しいので、それなりに残業はしていたのですが、いつ残業をするのか、というのはなるべく自分で調整できるようにしていました。

まず、事前にわかっている仕事に関しては、時間に余裕があるときはなるべく前倒しでやってしまいます。

締切までにどこかで残業しなくては終わらないような場合には、自分が残業しても良いなと思う日に集中して進めてしまっておきます。

そうすることで、残業したくない日はそもそもすべき仕事をなるべく減らしておくようにしていました。

ただ、もっと重要なのは、周囲への周知と関係作りだと思います。

私がやっていたのは主に下記のようなことを心がけていました。

  • どうしても残業できない日は朝のうちにその旨を関係のある人たちに伝えておく
    (立て込んでいる時期などは前日までに伝えて、朝もう一度伝える)
  • 早く帰りたい日は、就業の3時間ほど前までには上司に今日他にすべきことがあるか確認する
  • 残業が出来る日で、他の人の仕事が溜まっていそうな場合は確認して引き受ける

1つ目はそのまま、「今日は早く帰りたい」ということを、皆にアピールしておきます。

それだけを伝えるのは気まずいなと感じるときは、「それなので、なにか依頼などある場合は早めにお願いします」と言い添えていました。

忙しい時期で、どうしてもマストで早く帰らなければならない場合などは、数日前から伝えておいて、仕事を調整できるようにし、さらに朝に念押しする形をとっていました。

2つ目は、終業時間間際に依頼が入るのを防ぐため、自ら切り込んでいくパターンです。

早く帰りたい日で、急いで手持ちの仕事を終わらせて、順調!と思っていると、いきなり急ぎの仕事が入る場合があったので、どうせやらなくてはならないなら、まだ時間に余裕があるうちに聞いて進めようと思ってやっていました。

しかし、たまに藪蛇になる諸刃の剣でもありました(笑)

3つ目は持ちつ持たれつな関係作りのために、残業しても良い日で、他の人が困っているときはなるべくフォローに入るようにしていました。

別にやっていなくても問題はないのですが、帰りたい日は他の人が残業バリバリしてても帰るので、そのことを自分も他人も許しやすくなるかなと思ってやっていました。

 

4.キャラクター作り

最後は、ホワイト企業ならあんまり気にしなくて良いと思いますが、あいつ早く帰るやつだよな、早く帰ってもあいつならいいや、と思われるキャラクター作りです。

私は下記のようなことを気をつけていました。

  • なるべくいつも笑顔で感じよく
  • 仕事上で主張すべきことははっきりと主張する
  • 仕事自体は迅速丁寧に(ミスをなるべく減らしつつ、ミスした場合はすぐに報告・謝罪・リカバリー)
  • 早く帰ることは悪いことじゃないという態度を貫く

結局は、仕事は人間関係なので、周囲の人に良いイメージを持ってもらいつつ、仕事での信頼性をあげていくことで、罪悪感なく、周りとの関係も維持しつつ早く帰りやすくなるかなと思います。

 

 

以上、早く帰るために私がやっていたこと4選でした。

職場によって職場環境も業務内容も人間関係も様々なので一概には言えませんが、体育会系の風潮のある会社などでは使えることもあるかもしれないと思い今回書いてみました。

自分はこういう風にしている、などあれば教えていただけると嬉しいです!

ニートしたときに参考にさせて頂きます!

あ、でも本当は、早く帰ることばかり考えなくて良い職に就く方法を考えるべきなのかな・・・。

ブログ100記事目!感想などをつらつら語りたいので語ります!

「アラサーニートの雑記帖」は、この記事で100記事目の投稿となります!

最初の記事を投稿したのが5月31日だったので、3ヶ月半ほどで100記事到達ということになりました。

今回はせっかくなので、この3ヶ月半のブログでの活動を振り返りつつ、感想やらなにやら、語っていこうと思います。

 

最初の記事を書くまで

私がブログを始めたのは、会社を辞めてから約2ヶ月後のことでした。

ブログに関しては、自分のことを表現したり発信する場所があった方が良いと、ずっと恋人から勧められていたのですが、仕事が忙しいとか、私なんかが書いてもという言い訳をしながら、ずっと行動に移せずにいました。

しかし、仕事も辞めてしまって、恋人とも遠距離になり、実家に戻ってきた私は、空っぽな自分自身と向き合わざるを得なくなりました。

そこでやっと、とりあえずやってみようと思うことができたのです。

どうせ暇だし、インターネットという場所でなら、リアルでは人目を気にしすぎてしまう私も、自分の考えや言葉や内面や日々のことを残していけるような気がしました。

そしてもしかしたら、自分のこれからのリアルにも、影響を与えることができるようになるかもしれない。リアルと繋げたくないと言いながら、リアルへの利益を考えたりもしていました。

そんな私の最初の記事がこちらです。

zakkicho.hatenadiary.com

簡単な自己紹介とブログを始めた経緯や興味分野などを書いていました。

構成やデザイン面でも、見出しの色を変えてみたり、破線でくぎってみたり、試行錯誤の跡が見て取れます(笑)

読み返すとなんだか恥ずかしいですし、最初の記事なんてほとんど誰にも見られていないと思うのですが、それでもこの記事を思い切って表に出したことで、ブログという世界を知ることができたので、私にとって大事な記事です。

 

アクセス数や読者数の増加と心境の変化

そんなこんなで始まったこのブログですが、当然、最初のころは全くと言って良いほどアクセスがありませんでした。

なんのノウハウも持たずに始めたので、しばらくは日に5人も来てくだされば御の字といった感じで、はやくも心折れそうになったりしていました。

しかし、ブロググループに登録したり、他の方のブログを読みに行くようになり、ゆっくりとアクセス数や読者数、スターの数も増えていきました。

初めてアクセス数が日に20を超えたときは、私の書いたものをそんなに見てもらえるようになったのかと本当に感動しました。

初めて読者がついた時は、本当に嬉しくて、何度も通知を見直しました。

見ず知らずの人が、私のブログを、文章を、また読んでも良いと言ってくれている。

久しぶりに全くの他人に自分を評価してもらえたように感じました。

それから読者が10人なり、20人になり、50人なり、100人になり、現在164人なりと、自分でも信じられないほどに増えました。本当にありがとうございます。

アクセス数も今では平均して1日に200ほどまで伸びました。

検索からやってきて読んでくださる方もいます。

徐々に成長していくブログを見ながら、しかし、最初の頃のように単純に嬉しいばかりではなくなってきてしまっていることも感じます。

書き続けなくては、質をある程度保たなくては、面白い題材を探さなければ、このブログをなにかに繋げなくては。

もともと「アラサーニート」から「何者か」になりたくて、その道の一端として始めたブログです。

とりあえず100記事、ここまでなんとか続けてこられました。

しかし、私はまだなにも見つけられた気がしなくて、「ブログをしているニート」になっただけだなと感じることも多いです。

私はブログでなにをしたいのか、なにをしているのか、200記事書いた頃にはわかるようになってきているといいなと思います。というか、わかるようになる!と思って書いていこうと思います。

 

どんな記事を書いてきたか、これからどんな記事を書いていくか

ちょっと感情的な面ばかりを書きすぎたので、ちょっと客観的に見たりもしてみようかなと思います。

これまでの100記事、どんなことを書いてきたのかなぁとタグを参考に振り返って見ました。

タグ付けされた記事数の上位は下記のようなものでした。

一番使っていたのが「日常」タグ、次が「レビュー」タグでした。

「日常」タグは自分でもなんかちょっと分類が曖昧な感じがします(笑)

「レビュー」は現在28個の記事を書いているようですが、その中でも映画がダントツの1位。次に小説。あとは漫画やドラマ、日用品などもありました。

100記事中の28記事なので、ざっと3割と考えると結構書いていますね。

常にネタに困っているので、見たもの読んだもの、体験したものはとにかくどんどん書いているため、レビュー記事はこれからも高頻度で書くと思います(笑)

今まで書いていないテーマとしては、恋愛とかも書きたいなぁとは思っているのですが、今一歩踏み出せていない感じです。

あとはもっと色々と経験して、ちゃんと進捗というか、足跡を残していくような記事を書けるようになると良いなと思っています。

 

 

最初はもっと色々数値的なものとかを出して書いていこうかなと思っていたのですが、毎月ブログの振り返りで書いていますし、書くうちになんだか感情的な部分が結構出てきたので、そこを素直に書いてみることにしました。

100というとすごく大きな数字で、1から始めてここまで来たのだなと思うと、個人的にとても感慨深いものがあります。

3ヶ月半、ブログに書いたこと書いていないこと、当たり前に色々とありましたが、このブログが私にとって、あって当たり前の存在になったことは、大きな出来事のひとつだと感じています。

今までこのブログに立ち寄って、関わってくださった皆さん、本当にありがとうございます。

いつまで続くかわかりませんが、まだしばらくは書き続けるつもりでいますので、よろしければ引き続き、気が向いたときにでも読んでいって頂けると嬉しいです。

100記事記念でなにかしたいと思いつつ、なにもできなかったアラサーニートでした。