恐怖は想像力の中に
先日、はてなブログのトップにJAL機のエンジントラブルに関する記事が掲載されていました。
その記事がこちら。
話題になっていたので、すでに読まれた方も多いかと思います。
飛行機に特化したブログで、執筆者の方も記事内で自らを「航空事故の専門家」と称されており、実際にかなり専門的な視点から、今回のエンジントラブルからの帰還に関して説明してくださっています。
双発機(エンジンを2機搭載している飛行機)で片方のエンジン(推力の半分!)を失っても、きちんと離陸し、旋回し、着陸出来た点、そしてそのように設計されている飛行機と、緊急時にも備えてパイロットの方もしっかりと訓練されている点など、「安全」の根拠となる事実が丁寧に述べられています。
素人にもわかりやすく、私も「なるほど、飛行機は徹底的に安全が考慮された乗り物なのだな」ととても感心しました。
しかし、もともと飛行機が苦手な私の中での飛行機への恐怖心は全く減る気配がありません。
そしてきっと、どんなに理論上の安全性が高まったとしても、ずっと拭えないのではないかと感じました。
そうしたら、「恐怖」の出所はどこなのか。
前置きがかなり長くなってしまいましたが、今回はそんな「恐怖」に関して考えてみようと思います。
恐怖はイメージの中にある
前述の飛行機の例で言えば、私の恐怖心の発端はどこにあるかというと、主に下記の2つだと言えます。
- 落ちたらほぼ確実に死ぬ(というイメージ)
- 落ちる可能性がどんなに低くても0ではない
飛行機側がどんなに安全性に配慮して、落ちる可能性を限りなく0に近づけてくれたとしても、私の頭の中のイメージを、その具体的で客観的な根拠は拭ってくれません。
ただ、実際に飛行機に乗っていない時であれば、そういった様々な情報は、しっかりと有効性を見せ、心配せずに飛行機に乗っていいんだよ、と私の背中を押してくれます。
しかし、いざ飛行機に乗り込み、飛び立ち、空の上に行ってしまうと、理解していたはずの「安全」がどんどんと離れていき、いつかテレビで見た事故の再現映像が頭をかすめはじめます。
バードストライク、エアポケット、油圧隔壁、エンジントラブル。
どこかで見聞きした単語が頭の中で回り始め、ちょっとした揺れにも心臓を持っていかれそうになります。
でも冷静になってみれば、それは全て私の頭の中の出来事で、言ってしまえば妄想でしかありません。
周りを見回せば、他の乗客の方はゆったりとリラックスしているし、空だって綺麗だし、CAさんは皆ニコニコと余裕たっぷりに仕事をしています。
多少大きく揺れても飛行に問題はないという機長さんのアナウンスも聞こえてきます。
ゆっくりと、恐怖が消えていくのを感じますが、小さな揺れにまた不吉なイメージが舞い戻ってきます。
イメージは不意の隙間にすぐに入り込んでくるので、飛行機ならば寝たり、音楽を聞いたり、読書に没頭したり、必要以上に恐怖を感じてしまうときは、隙間を作らないようにするのが良いのかもしれないですね。
情報が恐怖を作る
前項では、恐怖はイメージの産物だというお話をしましたが、それではなにがイメージの元になっているかというと、それは様々な情報です。
経験したこと、テレビで見たこと、伝え聞いたこと。
今まで得た様々な情報がイメージを形作っていきます。
わかりやすい例をあげると、ホラー映画を見た後。
今までなんともなかった暗闇がなんだかものすごく怖く思えてきます。
他にも残忍な殺人事件を扱ったニュースを見たり、残酷な小説を読んだ後、夜中にエレベーターに乗り込むとき、玄関のドアを開ける時、それまで以上に緊張していることに気付いたりします。
今まで存在しなかった恐怖が、新たに芽生えているのです。
これは恐怖に限らずですが、知ることで、今までなかったものが生まれると考えると面白いですよね。
実際に自分が経験したことでなくても、例えば知った内容が架空のものであったとしても、知ったことによって自分の中に新しい世界ができあがってしまう。
でもそう考えると、恐怖以外の感情に関しても、知ることによって変化した差分を強く感じても良い気がするのですが、あんまりないような・・・?
例えば、エレベーターでの殺人を新しく知ったとしたら、エレベーターが新しく恐怖の対象になりますが、教会での結婚式を新しく知ったからと言って教会が幸せの象徴に見えたり・・・しますね。しましたね。
幸福より恐怖の方がその瞬間の刺激が強いから、記憶に残りやすいのかもしれません。
それに、恐怖は自身を守るための本能が恐らく強く関係しているので、より感じやすいものとも考えられますね!
なんの話でしたっけ・・・(笑)
とにかく、新しく得る情報が、また新しい恐怖をどんどん生み出していく。
それじゃあ恐怖って増える一方なのでしょうか。
恐怖は増殖し続ける?
新しい情報によって新たな恐怖が追加されるとして、逆に恐怖がなくなることってあるのでしょうか。
私は基本的に、一度感じた恐怖が完全に消えることはないのかなと思っています。
知ってしまった情報は消えないし、イメージはどこかに残り続けると思うからです。
ただ、忘れたり、薄れたりすることはあるように思います。
それは例えば慣れだったり、逆に滅多に触れる機会のないものに対する恐怖だったり。
そういったものは、日常生活的にはもうないも同然と言えるかもしれないですね。
それでも恐怖はどこかに蓄積されていて、生きていくうちにどんどんどんどん増殖し続ける。
でも別に悲観することはないですよね。
良く考えたら、生きるってそういうことかなと思ったりします。
色々と経験して、知っていることも増えて、できることが増えていくと同時に、怖いものやできないことも増えていく。
だから、私は多分一生、飛行機も夜道も怖いままだし、他にも怖いものは増え続けるけど、負けずに生きていきます(笑)
なんだかちょっと脈絡がなくなってしまいましたが、今回はこのへんで終わろうと思います。
恐怖も幸福も、私の世界は全部、私の想像力の中にある。
【小説】東野 圭吾『白夜行』を読みました
今回は久々の小説レビューです。
なんと前回から1ヶ月以上開いてしまいました・・・。
文庫本で850ページくらいあって、まとまった時間を取らずに移動時間などにちょこちょこ読み進めていたら、いつの間にか読み始めてからかなりの時間が経っていました。
ただ、今回の小説は登場人物が多く、長い年月にかけて追っていく形の構成だったので、しばらく読んでいないと人物同士の相関が曖昧になってしまったりで、ページ数が多いからこそ一気読みすれば良かったな、とちょっと後悔しています。いつか再読する時は、まとめて読もう。
東野 圭吾『白夜行』(1999年)
福山雅治さん主演で連続ドラマ化された『ガリレオ』シリーズや、『手紙』『さまよう刃』など多くの作品が映画化もされている、知らない人はいないであろう稀代の人気ミステリ作家・東野圭吾さんの作品。
本作自体も2006年にドラマ化、2011年には映画化され、どちらも大きな反響を呼びました。
1973年、大阪の廃墟ビルで質屋の店主が遺体で発見された。何人かの容疑者が捜査線上に浮かぶも、結局事件は迷宮入りしてしまう。月日は経ち、当時小学生だった被害者の息子・桐原亮司と容疑者の娘・西本雪穂はそれぞれが別の道を歩んでいく。そんな二人の通った道にいつも残る陰。19年の足取りを追い見えてくるものとは。
ドラマ化や映画化でタイトルだけは知っていて、評判が良さそうだったのでずっと気になってはいたのですが、長年手に取る機会がなかった本作。
ブックオフで見つけて、そういえば読みたかったんだったと思って、この度数年越しにやっと読むことができました。
東野圭吾さん自体は、ドラマの『ガリレオ』で存在を知り、『探偵ガリレオ』を読んで面白くてびっくりして、それから『手紙』や『さまよう刃』など、映像化で話題になったものをたまに読んでいましたが、多作で、作風も様々で、安定して面白い。才能に溢れた作家さんというイメージです。
東野作品には色々なテイストのものがありますが、本作はかなりダークです。
主人公二人は二人共に賢く、そして冷たい。
二人の感情の描写を極端に排除することで、より一層作品全体の温度が下げられ、そしてどんなに想像力を働かせても悲劇でしかない二人の境遇や心情に、さらに体温を奪われていきます。
この作品には救いはありません。
主人公たちはただ淡々と白夜を歩き続け、彼らの行く先にいる人々も、いつの間にか白んだ夜の中に沈み、彼らの道に溜まる陰となっていきます。
段々と霧が晴れて全体像が見えてくる、ミステリーとしての面白さももちろんあるのですが、結局は二人の心の中までは触れられず、「真実のようなもの」と二人にしか(もしくはそれぞれにしか)わからない真実の間に横たわる何かや、真相にたどり着いたからといってその先に何も見えない空虚さが、この作品の魅力のように感じました。
※ここからは作品の核心部分、ネタバレを含みます。ご注意ください。
霧は晴れても、夜は明けぬまま
1件の殺人事件から19年間。
被害者と容疑者の子供たち二人を、その接点を持たせないままに、そして二人の心情を直接語らせないままに描き出していく手法で、見事に読者の想像力を掻き立てる作品になっています。
あまりに視界の悪く長い道中を、主に刑事(後半では元刑事)の笹垣が水先案内人として手を引いていき、最後には二人のおおよその足取りを見せてくれます。
いくつもの事件が起きている上に、違う時系列や視点の話をいくつも重ねていくような構成になっているため、ラストに笹垣が真相を語っていくまでは、事実と疑問で散らかったまま読み進めていくことになりますが、ラストにかけてそれらは徐々に整理されていき、それまでの出来事や事件の形は見えるようになります。
しかし、結局事件の全体を眺められる視点を持った後も、誰も二人の心に近付くことはできません。
笹垣は執念で二人の辿った道のりを浮かび上がらせるところまでたどり着きましたが、あと一歩のところで二人の心に触れるチャンスを逃します。そして恐らく、もうそのチャンスは二度とやってこないのではないかと思います。
もしも、亮司を捕まえることができていれば、あるいは二人を白夜から昼の太陽のもとに連れ戻すことができたのでしょうか。
二人はの求めるものはなんだったのか
亮司と雪穂は、作中で様々な罪を犯します。
産業スパイにレイプに殺人。自分たちの邪魔になるものは徹底的に排除していきます。
そしてそのために、他のどんな人たちも利用し傷付けることを厭いません。
どうしても欲しいもののために、お互い以外の全てを捨てる。そのこと自体は、行いに共感はできなくとも、理解はできます。
しかし、改めて思い返してみて、彼らがそこまでして望んでいたものは一体なんだったのだろうと疑問に思うのです。
亮司は、彼の願いはきっとただ雪穂に幸せになって欲しかっただけ。
そのために自分自身がどこまで沈んでも、一生白夜の中を彷徨うことになっても構わないと思っていた。
ただ、それが愛ゆえのものかはわかりません。強い贖罪の意識からきていたのかもしれない。愛であれば良いな、と思ってしまうのですが。
しかし、雪穂は一体なにを求めていたのでしょうか。
私には、彼女の中身はずっと空っぽだったように思えてなりません。
先に見据える望みなどなくて、ただ、彼女を煩わせるものを排除していっているだけのように見えるのです。
なにを望めば良いかもわからなくて、ひたすら白夜の中を歩いている。
彼女はいつかどこかに辿りつけるのでしょうか。
雪穂は亮司を愛していたか
この作品の印象は、雪穂という人物をどう捉えるかで大きく変わると思います。
基本的に心の一部を失ってしまっているのは間違いないと思うのですが、一部の人に対しては愛情や愛着を持っているのか、それとも自分以外の全てに対して(もしかしたら自分に対しても)感じるべき感情自体を失ってしまっているのか。
私は読み終わってすぐは、雪穂にとって亮司だけが特別で、ラストの台詞も亮司の気持ちを無駄にしないために、気持ちを押し殺したのだと感じました。(同じく東野さんの『容疑者xの献身』では、似たようなシチュエーションで愛を表現しています。)
そう思いたいという気持ちもあったかもしれません。
しかし、この記事を書いているうちに、もしかして雪穂はもう誰にもなにも感じなくなってしまっていたのかもしれないと思い始めました。
亮司のことは、信頼のおけるパートナーとして、他の人より近しい存在ではあったかもしれないけれど、一番有能な駒だっただけで、他の人と同じく利用していただけだった。
ものすごく虚しいですが、そういう可能性もあります。
雪穂が亮司を愛していたなら、あそこまで多くの人を不幸にして、亮司の手を汚さなくても、二人で生きる方法がきっとあったように思うのです。
仮に亮司に何の気持ちも抱かずに生きていたなら、雪穂の人生はきっと私の想像できないほどの孤独の底にあります。
やっぱりせめて、二人がお互いを想い合っていてほしいと思わずにはいられません。
静かな絶望の上を行く二人を、ただただ眺める作品でした。
今でも考えるたびにくるくると雪穂の印象が変わっているので、そういった意味で余韻が深く、小説世界の面白さを感じます。いろんな人と語り合いたくなりました。
もし読んだことのある方は、感想や解釈などぜひ教えてください!
私が経験した習い事たち
幼い頃から、長いものでは大学生の途中くらいまで、私はたくさんの習い事をさせてもらっていました。
ふと思い出したので、それぞれの習い事について思い出せる限り書いてみようと思います。
ピアノ
長く続いた習い事の1つです。
幼稚園の頃から、多分大学1年の途中くらいまで習っていました。
小学生~高校生あたりまではヤマハのグループレッスンと、家に先生を呼んでの個人レッスンを別々に受けていたので、週2回はピアノのレッスンを受けていたことになります。
そこまでやっていたならさぞやすごい腕前なのではと思われるかもしれませんが、大したことはありません(笑)
楽譜が読めて、練習を重ねればやっと1曲マスターできるといった感じで、初見ですらすらと弾けるほどの腕前にはなりませんでした。
先生方は熱心で丁寧だったので、もっとハマって練習すれば特技にできていたかもしれないですね。もったいないことをしました。
今でもピアノを弾くのは嫌いではないので、たまーに気が向いたら楽譜を引っ張り出してきて、つまりながら弾いたりしています。
楽譜を読めるようになったことと、クラシックの楽曲に多く触れられたこと、ピアノの良さを知れたことはとても良かったなと思っています。
またちゃんと練習し直そうかなぁ・・・。
バレエ
バレエは幼稚園~中学生くらいまでやっていたような気がします。
週2回のレッスンで、1回のレッスンの半分を基礎的な練習、半分を音楽に合わせた振り付けの練習といった感じの内容で行われていたと思います。
年に何回か発表会があり、その時に着る衣装の美しさは子供心にときめくものがありました。
バレエと言えばトゥ・シューズを連想する方も多いかもしれませんが、基本的には柔らかいバレエシューズで練習しますし、中学生になるくらいまではトゥ・シューズをもらえませんでした。
初めてトゥ・シューズを履いた時は、とても感動したのを覚えています。
踊ることは好きだったのですが、もともと身体が硬く、ストレッチ等は辛かったです。
また、やはりバレエの世界は前に出たがる女の子たちが多く、そういった空気が苦手で止める直前くらいはたまにサボってしまっていました。お母さん、ごめん。
でも、レオタードにトゥ・シューズ、チュチュや、優雅に伸びる手足。バレエのキラキラした世界はとっても素敵でした。
水泳
小学生いっぱいくらいまでやっていたような・・・?ちょっと曖昧です。
水泳は、正直ちょっと行きたくない習い事でした。
いや、楽しいのは楽しかったんですが、すごく疲れるんですよね。
そして、クラスがあがるに連れて、段々自分が落ちこぼれていくのがわかったのが辛かった感じもあります。
もともと、運動神経がめちゃくちゃ悪いわけではないけど、体力などがそこまであるわけでもないタイプなので、バタフライで50mとか泳ぐようになるとかなり辛かったのを思い出します。一番好きなのは平泳ぎでした(笑)
でもお陰で水に慣れていて、泳ぎ方も一通り知っていて、小中高と水泳の授業で困らなかったのは助かりました。
大人になると泳ぐ機会ってほとんどなくなってしまったので、ジムとかで泳ぎたいなぁという気持ちになったりしています。
テニス
これもピアノに続き長く続いた習い事の1つです。
高校のはじめくらいまで習っていた気がします。
もともと両親が大学時代にそれぞれテニスをやっていて、母の方は特に熱を入れてやっていたようで、主婦になってからもレッスンを受けていました。
それなので、母としては子供の習い事の中で一番思い入れがあったかもしれません。
私もテニスは結構楽しくて好きでした。
パワーはそこまでありませんでしたが、打ち返すコースや、相手がミスするまでねばったり、戦い方が色々とあったので面白かったです。
中学生くらいまでは割りと真面目に習っていて、試合や中体連などにもよく参加していました。(結果は全然ですが笑)
高校以降はほとんどやっておらず、今ではすっかり腕も体力も鈍ってしまっていますが、一応家族全員が出来ますし、意外と本当に初心者の人でも結構楽しめるスポーツなので、大学の友達と集まってやったこともあったりと、これからもたまにやることもあるかな、と思えるスポーツです。
書道
小学生いっぱいくらいまで習っていたはずです。
こちらも母がもともとやっていて、一緒にお教室に通っていました。
書道は県の大会で入賞したりと、結構がんばっていた気がします。
正座が辛かったですが、静かな中で、淡々と文字を書いていくのは好きでした。
書いたら先生に見せるのですが、直しを入れてくれる朱の墨がなんとなく好きだったのを思い出しました。
今ではもう祝儀袋に筆ペンで名前を書くのすら難しくなってしまいましたし、筆なんて中学卒業以来全く握っていませんが、今でも文字を書くこと自体は好きです。
暇な時とかは、紙に意味なく歌の歌詞を書いたりしていることがあります(笑)
書道も大人になってもう一度やってみたいなと思うものの1つです。
集中して文字を書いていったら、なんだかすっきりしそうな気がします。
塾
小学生までは小さい私塾みたいなところに、中学の間は地元では大きな塾に通っていました。
中学で通っていた塾は、週3~4回くらいで、放課後から夜までがっつりでした。
恐らく中学時代が人生で一番勉強したと思います。
正直塾は拘束時間が長く、課題も多くて大変でしたが、講師の先生方の教え方は本当にすごくわかりやすくて、これが塾か、とびっくりしたのを覚えています。
学校の授業も楽しかったのですが、それとはまた全然別物だと感じました。
無事に志望していた高校に合格できましたし、大変だったけど、勉強も結構楽しいと思えた体験でした。
英語
英語は結構短期間の習い事だったと記憶しています。
小学校のある時期だけ通っていたような・・・。
外国人のネイティブの先生がいて、子供がいっぱいいて、ゲームなどをしながらワイワイするタイプの教室だったと思います。
ただ、短期間だったのもあってそこまで身についておらず、今もあいきゃんとすぴーくいんぐりっしゅ状態です(笑)
せっかく習っていたし、あの頃から勉強し続けられてたらなぁと今は思います。
やっぱり、情報収集だったり、色々な文化圏の人とコミュニケーションを取りたいと思うと、英語が使えると格段に幅が広がるだろうなと感じることは多いです。
これまで何度か英語勉強しようと思って挫折してしまっているのですが、また再チャレンジしようかな。
芸能養成所(芝居・歌・ジャズダンス・タップダンス・日舞等)
ラストは芸能関係の習い事です。
これは私自身が大好きで、幼稚園くらいから大学1年生くらいまで続けていました。
途中で通う養成所が変わったりはあったのですが、やっていることはどこも結構似たような感じで、芝居・歌・ダンスなどです。
私は特にお芝居が好きでした。
自分ではない自分になるあの感じは、他のことではなかなかできない体験です。
あとはタップダンスも結構ハマって、レッスン中は他の人たちより熱心に練習して、先生に褒めてもらったりしていました。
たまにある養成所の発表会で、お芝居したり、歌ったり、踊ったりするのが、本当に本当に楽しかったです。
お芝居は、今でも本当にやりたいことのひとつで、趣味でいいからどこかでやれたらな、とずっと思っています。
なにか行動しなくちゃいけないですね。
さて、こうして振り返ってみると、本当にたくさんの習い事をさせてもらっていたな、と思います。
私がもしこれから親になったとして、ここまで色々なチャンスを子供に与えてあげることってできない気がします。
両親にはその点では本当に感謝しかありません。
どれひとつとして、本格的にものにはできませんでしたが、きっとあの頃の色々な経験が、今の私の中にさまざまな形で息づいて、私を形作ってくれていると思います。
これからも、ふとした時に助けられることもあるかもしれません。
今回思い出したことで、色々やってみたいな、がんばらなくちゃな、という気持ちにもなりました。
やりたいこと、どんどんやっていくようにしようと思います!
【映画】『探偵はBARにいる』を見ました
昨日『グレッグのダメ日記』のレビューを書いた際に、気が向いたらその前に見た『探偵はBARにいる』のレビューも書くと書いていたのですが、早速気が向いた、というか、せっかく見たならやっぱり記憶が新しいうちに残しておこうと思ったので、今回書いていこうと思います。
書くかどうか迷っていたのは、お酒を飲んでいたのと、台詞音量が微妙で聞き取れなかった部分がぼちぼちあったのと、バイオレンスに気を取られて話を本筋を見失ったところがあったからなのですが、そのへんも加味して、話半分、とまではいきませんが、8割くらいの雰囲気で読んで頂けると有難いかもしれません。(※あくまで個人の感想です)
探偵はBARにいる(2011年 / 日本)
東直己さんの推理小説シリーズ「ススキノ探偵シリーズ」の第2作目『バーにかかってきた電話』を原作とした探偵映画。
バーを根城にする私立探偵の〈俺〉を大泉洋さん、その助手・高田を松田龍平さんが演じ大ヒット。現在映画は第3作まで公開されている。
ハートボイルドものを謳っており、シリーズは全作PG12となっている。
あらすじ
ある日、札幌・すすきののバー「ケラーオオハタ」を 根城とする私立探偵〈俺〉のもとに、「コンドウキョウコ」を名乗る女性から1本の電話がかかってくる。
お金は振り込んであるので、ある弁護士に会って2月5日の「カトウ」という男の動向を探るように、との依頼を受ける。正体を隠そうとする依頼主と簡単そうな依頼内容をいぶかしみながらも、押し切られて弁護士のもとへ向かった俺。
弁護士がカトウという名前に反応を示したのを確認し、楽勝だったと帰るその途中で、俺は拉致され雪原に埋められてしまう。
危うく殺されかけた俺のもとに、コンドウキョウコから次の依頼の電話がかかる。
命を狙われるほどの事件の真相はどこにあるのか。コンドウキョウコとは何者なのか。
俺の命をかけた調査が始まった。
感想
大泉洋さんと松田龍平さんコンビの絶妙な空気感と、くすっと笑える台詞回しは楽しかったです。
携帯を持たない主義でバーの黒電話で依頼を受けたり、可愛いポンコツ車に乗っていたりと、そういった昭和的(?)な映像も美しかったです。
ただ、バイオレンス面がちょっと私には刺激が強すぎました。ストーリー的に外せない部分であればそれでもなんとか我慢できるのですが、あとあと振り返ってみてもあのシーン必要だった?となる感じで、せっかくコメディ調で楽しんでいたところで、なんだかもったいないなと思ってしまいました。(あれがハードボイルドなのでしょうか?)
あと、大泉さん演じる〈俺〉の行動がちょっと感情的すぎて、探偵としてはどうなのよ、と思うシーンが多かったです。熱い男演出なのでしょうか。
飄々とした探偵と助手の雰囲気は素敵だったので、暴力シーンに注力せずに、ストーリーとディテールにこだわって、コメディ路線強めでいってくれれば私好みだったな、と思いました。(勝手な願望)
おっぱいやHシーンの写真がノーモザイクで出てきたあたりは昭和な感じがして個人的には好きでした。
※ここからは作品の核心部分、ネタバレを含みます。ご注意ください。
〈俺〉と助手の抜け感は素晴らしい
どんな場面でもちょっと皮肉ってみたり、カッコつけてみようとする探偵〈俺〉と、とにかく寝ていることが幸せで、いつも俺のピンチが始まって、しばらく経ってやっと登場する助手の高田。
この二人の抜けた空気感はとても素晴らしかったと思います。
基本的に高田は俺のことを適当にあしらって、空気も読めません。面倒くさそうに、それでも危ないシーンでもついていこうとする高田。そんな高田にグチグチ言いながらもピンチにはやっぱり高田を頼る俺。
普段はほとんど意見を言わない、感情を見せない高田が、度重なる暴力による警告で死にかけた俺に「手を引け」と伝えるシーンは、二人の関係が見えてとても良かったです。
この二人の空気感と関係性、キャラクターはとても良かったので、もっとソフトなタッチの話であれば、シリーズの他の作品も見てみたいかなぁと思います。
煩雑なストーリーと思わず目を背けたくなる暴力描写
この作品ではコンドウキョウコからの依頼の目的とその事件の真相はなんなのかということと、コンドウキョウコは何者なのか、という主に2つの謎が主軸になっています。
依頼のもとにある大きなストーリーと依頼主という部分に謎を持ってくるストーリーの構成自体は面白いと思うのですが、本作品ではそこにヤクザが絡み、コンドウキョウコに絡むメインストーリーの他に、もう1本、ヤクザが運営する道場に通っていた少年とその家族のお話が軸を作っています。
が、この少年と家族の話がどうも私にはあまり頭に入ってきませんでした。
少年がコンドウキョウコにまつわる事件の実行犯をさせられ殺されて、その証拠を握っている少年の父親が、ヤクザ相手にゆすりを働き豪勢な生活をしている。
途中までゆすりに応じていたヤクザですが、謎のタイミングでぶち切れ、この家に乗り込み、父親はもちろん、何の関係もなかった妻も殺害します。
この殺害シーンが最悪でした。
父親への殺害前の見せしめのために、妻の脚を打ち抜いていきます。
悲鳴が漏れないようにクッションを顔に押し当て、ニタニタと笑いながら容赦なく引鉄をひきます。
敵の残虐性を強く残したかったのかもしれませんが、このシーン必要だった?
というかそもそもこの親子のエピソード自体必要だったのか疑問です。
他にも俺への脅しのためにガンガン暴力が振るわれますが、結局コンドウキョウコの正体を考えると、あの最後の脅しシーンも納得できず。
暴力絡みのシーンにあそこまで時間を割くなら、もう少しストーリー説明やサイドの人物達の描写を丁寧にやってほしかったかもしれないです。
感情任せに暴れる探偵
あと一番気になったのは、俺の行動がいつもかなり感情優先なこと。
特に前述の夫婦の殺害シーンを目撃した後、怒りに任せて現場で暴れまわったシーンは、いやいや、と思ってしまいました。
他にも明らかに危険な場面でどんどん突っ走ったり、後先考えずとりあえず敵陣に乗り込んでいったりと、感情的で熱血漢というキャラクターだとしても、探偵としてそれはどうなの、と感じる部分は結構多かったです。
そういう意味では助手の高田の方が探偵らしかったかもしれません。
ただ、高田も軽く注意はしながらも、結局俺の行動についていってしまって、止めるところまでは至らないので、もう少し高田のコントロール力が増せば、コンビ探偵としての色が出るかもしれません。
とりあえず、ハードボイルド探偵ものというよりは、ヤクザバイオレンスものという雰囲気でした。
会話や二人の雰囲気は好きだったので、暴力によってしまったのがやっぱり個人的には惜しいなぁと思う作品でした。
あと、この作品に限らずですが、邦画ってDVDとかになるとBGMと台詞の音量や、シーンごとでの音量バランスの悪さがすごいのはなんなんでしょうね(笑)上げたり下げたりしながら見るのに疲れて、途中聞き飛ばしたところが結構ありました。
シリーズのほかの作品は、あらすじと他の方のレビューを参考にして、見るかどうか検討しようかなと思っています。
あ、あと、ハードボイルドとはなにか、調べてもイマイチ分からずで、詳しい方がいればぜひ教えて頂けると嬉しいです!
【映画】『グレッグのダメ日記』を見ました
今回は、アメリカの中学校でイケてる中学生を目指す男の子を描いた映画のレビュー記事です。
お酒を飲みながら見ようと思ってAmazonプライムを物色していて、はじめは『探偵はBARにいる』を見たのですが、思いの外バイオレンスな感じで辟易してしまったので、もう間違いなくコメディだろうと思われる作品をチョイスしました。
(『探偵はBARにいる』もちゃんと最後まで見たので、気が向いたら近いうちにレビュー記事を書くかもしれません。)
グレッグのダメ日記(2010年 / アメリカ)
アメリカの漫画家ジェフ・キニーによる同名の児童書を映画化した作品。
中学生になったばかりのグレッグが人気者を目指す日々を描いています。
原作はシリーズ化され、世界的に商業的成功を収めており、日本でもポプラ社によって最新の11巻まで全てが刊行されている。
日本では劇場公開がなくDVDのみの販売となっていますが、映画も現在シリーズ第3弾まで製作されている人気作です。
あらすじ
中学校初日を迎えるグレッグは、卒業アルバムの「人気者」のページに載るイケてる中学生になることを心に誓っている。
小学生時代からの親友ロウリーはイイ奴だけど激ダサで、中学デビューを目指すグレッグの足を引っ張ってくる。
イケてる中学生は親友もイケてないといけない。ロウリーの服装や振る舞いにも口を挟みながら、あらゆる手段を使って人気者を目指すグレッグ。
果たして彼は無事に人気者になることができるのか。
感想
アメリカの学校!という感じの映画でした。(アメリカの学校の実態はわかりませんが・・・)
如実なスクールカースト、カフェテリアでのランチに、ミュージカルのオーディション。
主人公のグレッグはスクールカーストの低位から人気者まで登りつめようと奮闘するのですが、これがなかなか嫌な奴です。
大人目線で見れば、ブラックジョークみたいなノリで楽しいのですが、子供向けで作っているのだとしたらなかなか過激なキャラクター設定だなと感じました。
また、グレッグたちの1学年上で新聞部のクールな女子生徒アンジー役で、『キック・アス』で有名なクロエ・モレッツちゃんが出演していますが、ニヒルな表情が素敵でした。ただ、思ったほど出番はなく、ちょっとしたスパイスといった感じでしょうか。
全体的に大人びた雰囲気のアメリカの中学生ですが、校庭のカビたチーズを巡る「チーズタッチ」の話などは、日本の小中学校でもありそうな雰囲気で、子供らしさを感じることができました。
子供向けと知らずに見ましたが、大人でも充分楽しめるコメディ作品でした。
※ここからは作品の核心部分、ネタバレを含みます。ご注意ください。
性格の悪すぎるグレッグと純粋で良い奴ロウリーのコンビ
主人公のグレッグは、最初はダサいなりに人気者を目指す、ちょっと自意識過剰な男の子といった感じなのですが、お話が進むに連れて、その性格の悪さが露呈していきちょっとびっくりしてしまいました(笑)
いや、大人向けのコメディ作品なら全然許容範囲なのですが、子供向けを謳っている作品でここまで突き抜けた嫌な奴を主人公に持ってくるというのは斬新に感じました。
どんな感じかというと、基本的にぽっちゃり系でファッション等にかまわない親友のロウリーのことを下に見ていますし、そのロウリーを遊びの途中で骨折させてしまっても謝りもしません。むしろ、ロウリーがその骨折をきっかけに人気者になったことで、僕のおかげで人気者になれた、とすら思っています。さらに、自分の失敗がロウリーのせいだと勘違いされたときも、これ幸いとそれを訂正しないままにしておこうとします。
どうでしょう。なかなかに嫌な奴ではないでしょうか。
それに対して親友ロウリーは、確かに「イケてる」少年ではありませんが、気持ちは優しく、純粋です。そしてとても素直な性格で、実際に骨折を機に得た人気は、その後も変わらないまま、おおらかで素直なキャラクターがクラスに受け入れられていきます。
自作の漫画で学校新聞の漫画担当に応募して選ばれたり、ママと息子のダンスパーティーでノリノリで踊ってみんなを楽しませたり、グレッグが打算尽くしで登り詰めようとしていた位置まで、全く意図することなく、自然と上っていきます。
私のイメージだと、アメリカのスクールカーストだと性格が結構悪くても、容姿やファッションが洗練されていれば序列は上がり、どんなに良い子でもロウリーみたいなタイプの子は人気者にはなれないと思っていたので、ロウリーが順調にステップアップしていたのはちょっと意外でした。(かなり偏見入っててすみません・・・。)
「チーズタッチ」と友情の復活
校庭に落ちているカビたチーズを触ると「チーズタッチ」と呼ばれ皆に避けられる。そして「チーズタッチ」でなくなるためには誰かにタッチしないといけない。タッチされた人が次の「チーズタッチ」となる。
そんなどこの学校にもありそうなお話が、グレッグ達の学校にもあります。
ドイツから留学生の子がチーズタッチのまま帰国したことで、グレッグ達の学校のチーズタッチ騒動は一旦収束していました。
一旦はグレッグのあまりの身勝手さに崩壊してしまっていたロウリーとの関係ですが、ラストにかけて、このチーズタッチをきっかけに二人は仲直りを果たすこととなります。
以前グレッグとロウリーが怒らせてしまった卒業生が学校まで乗り込んできて、まずはロウリーにチーズを拾い、食べるように命じます。
抵抗しつつも恐怖のあまり命令に従うロウリー。
再度落ちたチーズを見て誰かがチーズタッチになったことを悟るほかの生徒たち。ロウリーの様子を見て、ロウリーがチーズタッチだという宣言がなされようとしています。
そこでグレッグは「チーズタッチは自分だ」と言い放ちました。
あんなにこだわっていたイケてる人気者になることを捨てて、ロウリーのために自己犠牲をはらったのです。
正直、それまでの悪行がなかなかのものだったので、ここでそこまで感動したりということは私はなかったのですが、ロウリーという大切な友達と仲直りできて、自分が大事にすべきものは何かということに気付いて行動できたのは良かったなと思います。
それまでの嫌な奴路線のままだと、グレッグは恐らくずっと下り坂のままで突き進んでしまっていたと思います。
思春期の早い時点で新しい価値観を得られたことは、彼のこれからの人生にとって、とても大きな意味を持つはずです。
そういう意味では、確かに子供向けの作品だったのかなと今さら思ったりします。
学校への影響力が強い父を持つ嫌味な女子生徒や、弟を徹底的にからかい、いじめ続けるバンドマンの兄、まだ赤ちゃんながら絶妙な表情で煽ってくる末の弟(赤ちゃんなのに素晴らしい演技力だと思いました)など、サイドの人物達もハッキリとしたキャラクターで、作品にメリハリを与えてくれていました。
学校という狭い世界には、多くの見えないルールがあったりしますが、成長するにつれて、それはそんなに大事なものじゃなかったと気付くことも多いです。
なにが本当に大事なものなのか、グレッグ君の性格の悪さにドン引きしながらも、気軽に笑いながら考える機会をくれる作品かなと感じました。お子様のいる方は一緒に見てみると良いかもしれません。
続編もあるそうなので、機会があれば見てみようと思います。
恐怖を感じたときに脳内でフラグを立てては折りまくる現象について
今日、約2週間ぶりに東京を満喫して実家に帰ってきました。
恋人と毎日一緒に過ごせますし、色んな観光スポットも多く、東京に行く時はいつもワクワクしています。
しかし、毎回どうしても嫌なことがあります。
それは行き帰りの移動。
このブログで以前にもちょっと書いたかもしれませんが、苦手なんです。飛行機。
だって怖いですよ。
今回はそんな飛行機に乗っている時の私の思考パターンから、恐怖を感じているときの脳内現象に関して書いていきたいと思います。
フラグ乱立ループ現象
さて、私は飛行機に乗る時、毎回「死ぬかもしれない」と思いながら乗っています。
思いながら、というか自然と頭にそういった考えが降ってきてしまうのです。
しかし、「死ぬかもしれない」と思い始めると、ソワソワが止まらなくなります。
例えば、地上にいる間に、CAさん達が非常用設備の説明をしてくれます。
飛行機には何度も乗ったことがありますし、案内の内容は大体頭に入っています。
しかし、説明をちゃんと聞かないことで、「非常用設備を使わなければならない場面が訪れて、かつその際に説明を聞いていなかったせいでちゃんと使用できずにそのことが原因で助からない」というフラグを立ててしまっている気がしてきます。
それなので、興味がないポーズを取りながらも、CAさんをチラ見しつつ、耳では最大限にCAさんの説明をキャッチします。
しかし今度は、必死で聞いていることで逆に「非常用設備を使わなければならない場面が訪れる」フラグを立てているような気がしてきます。
また、そんなことを考えていることこそが「非常用設備を使わなければならない場面が訪れる」フラグを立てているのではないかというような・・・(以下ループ)
といった不毛なフラグ乱立ループに陥っていきます。
わかりますでしょうか、この感じ。
他にも、飛行機のちょっとした揺れで飛行機事故を連想してしまい、そのことで事故フラグを立ててしまっている気がするので、慌てて大丈夫だと否定するも、平気だと思うことが逆に事故フラグを立ててしまっているような・・・(以下ループ)というパターンもあります。
このループに突入すると、なかなか眠ることもできず、読書に集中することもできず、ひたすら進みの遅い時計を眺めながら長いフライト時間を過ごすことになり、なかなか辛いです。
ループ現象に陥る要因
そんな辛いループ現象に陥る要因はどんなものか考えてみました。
主な条件は下記の2つでしょうか。
- 自分の意思でコントロールできないものに対する恐怖
- ひとりぼっち(と感じている)
この2つともがそろった時に起きやすいように感じます。
自分の意思でコントロールできないものに対する恐怖
ループに陥ったことのある状況をいくつかあげると、先述した飛行機移動の際や、暗い夜道を歩いている時、ホラー映画を見た後のお風呂やトイレなどがあります。
飛行機では事故に合わないか、夜道では急に襲われたりしないか、ホラーの場合は怖いなにかが出てこないか、といった恐怖に見舞われています。
これらは全て私の言動や思考でどうにかなるものではありません。
事故る時は事故るのだし、襲われる時は襲われるのだし、怖いの出ちゃう時は出ちゃいます。
いわば「対応策のない恐怖」です。
そんな時に、ある意味願掛けの一種としてフラグというものを取り出して、なんとかそのフラグを折ることができないかと足掻いているのが、結果的にフラグを乱立する現象へと繋がっているのではないかと思います。
対応策がないなら作ってしまおう!と考えているのですが、恐怖に支配されてマイナス思考気味なので、結局フラグ折ったつもりでもそれが逆にフラグなんじゃ、と疑心暗鬼になってしまって、ループしてしまう感じです。
素直に神様にでも祈っとけばいいのかもしれないのですが、今度は「神様に祈る」ことがフラグのような気がしてきちゃいますよね・・・。病気かな・・・?(笑)
ひとりぼっち(と感じている)
このループに陥る時はひとりの時が多いです。
物理的なひとりだけではなくて、心情的にひとりぼっちの時も含まれます。
例えば飛行機の場合、他の乗客もたくさんいるのですが、同乗者がいなければ私の気持ちとしてはひとりぼっちです。
仮に同乗者がいれば、同じ恐怖に襲われても、話しかけたり、手を握ったりしていれば恐怖心はいつもより抑えられ、フラグループにまでは至りません。
暗い道やホラー後の恐怖を感じても、話せる人がいれば恐怖自体が吹き飛んだり、かなり弱くなったりします。
やはり、頼るものはなにもないんだ、と感じたときに、自分ではコントロールできないなにかに襲われるかもと思うと、不安が尋常じゃなく大きくなってしまうのだと思います。
対策
上記のような要因を考えると、対策としては下記の2つが考えられるでしょうか。
- 気を紛らわせる
- 二人以上で行動する
対策とか言いながら全然対策になっていない気がしますね(笑)
個人的に、飛行機で気を紛らわせるには音楽鑑賞しながらの読書がオススメです。
音楽と読書の2つのものを同時に良い感じに楽しもうとすると、恐怖心はいつの間にかなくなってしまっていたりします。そのうち眠ってしまっていたりしますし。
しかし、最近はLCCにばかり乗っているので、音楽配信サービスがなく、読書だけではどうにもループから抜け出せない現状です。
2つ目は、それが出来れば最初からそうしていると思いますが、やっぱり一人はなにかと怖かったりするので、二人以上で行動したいですね!(笑)
さて、今回は私が恐怖を感じたときの脳内現象について考えてみました。
皆さんはこういったことありますでしょうか?
もしも恐怖のフラグループから抜け出せるような良い対策など知っている方がいれば、ぜひぜひ教えてください!
【今週のお題】上野の動物たち
東京で10日ほど過ごして明日にはまた実家に戻るアラサーニートです。
最後の土曜日は上野動物園に行ってきました。
今回はその様子を写真を交えて書いていこうと思います。
今週のお題「はてなブログ フォトコンテスト 2017夏」
実は、今週はお題が「フォトコンテスト2017夏」ということなので、iPhoneの中を探ってみたのですが、ほとんど既に記事にしてしまった写真しかなかったため、ちょっと焦りました。
今回タイミングよく夏の(恐らく)最後の思い出に上野動物園に行ってきましたので、そこで撮った写真を紹介しつつ、今日の日を振り返って行こうと思います。
上野動物園
今さら紹介するまでもないと思いますが、一応上野動物園に関して簡単に紹介しておきます。
東京・上野公園内にある動物園で、最近ではパンダの赤ちゃんが生まれたニュースで大変話題になりました。
詳細情報は下記の通り。
- 開園時間:9:30~17:00(入園及び入場券の発売は16:00まで)
- 入園料:一般600円、65歳以上300円、中学生200円
(小学6年生まで、及び都内在住の中学生は無料) - 休園日:月曜日(月曜が祝日の場合はその翌日)
東西2つのエリア
上野動物園は東園と西園の大きく2つのエリアに分かれており、今回は東園から回りました。
東園がJR上野駅の公園口側から入ったところになるので、多くの方はこちらから入場されることが多いかと思います。西園は不忍池側です。
東園には肉食獣等が多く、西園には草食動物や爬虫類等が多い印象でした。
今回は14時半頃に入場したのですが、最初ちょっとゆっくりしすぎたため、後半結構急ぎ足で回る結果となりました。
東園で1時間45分程度、西園で45分程度といった感じになりました。
ただ、もともと西園の方が展示動物数が少し少ない印象でしたので、基本的時間配分としても、ボリュームは東園が多めという感じで大丈夫かと思います。
東園
まずは最初に入場した東園エリアで撮影した動物たちを紹介していこうと思います。
ジャイアントパンダ
入ってすぐのところにジャイアントパンダがいます。
正直、上野公園といえばパンダという印象だったので、最初に展示があるとは思っていませんでした。気前がいい。
お客さんはそこそこいましたが、特に待たされることもなく見ることができました。
お昼寝なのか、完全に野生を見失った様子が可愛かったです。
カワセミ(のはず・・・)
どこの動物園でもそうですか、鳥類がたっくさんいます。
上野動物園にもたくさんいました。
この鳥さんは入園してすぐのガラス張りの鳥舎にいたのですが、一番手前の止まり木の上ではじめ微動だにしなかったので、一瞬剥製かと思ってしまいました(笑)
恐らくカワセミだったかと思われます。(記憶が曖昧ですみません・・・)
時々くちばしをぱくぱくさせるのが可愛かったです。
リス
リスは専用の飼育小屋と一部の鳥舎が細い通路で繋がれており、それぞれのスペースを行ったりきたりしていました。。
この子は目線をこちらに向けて何かを一生懸命かじっていて、デ○ズニー感がすごかった。
他の子たちもちょこまかと可愛らしく、巣でここまでデ○ズニー感出せるとかリスってすごいなと思いました。
プレーリードッグ
わさわさとたくさん集まって草を食べています。
なんというか、全体的に平和な雰囲気で癒されます。
正確にはオグロプレーリードッグという種類でした。
マイペースな感じが可愛い。
ライオン
ご存知百十の王ライオンですが、今回は野生0でスヤスヤとお休みになっていました。
眩しいのか寝ぼけているのか、たまに目をしょぼしょぼと動かすのが面白かった。
おとなしくしている時は大きなネコですね。可愛らしかったです。
今度行くときは勇姿を見せてくれるのを期待しています。
カリフォルニアアシカ
2頭寄り添ってお昼寝中。可愛いですね。
手前の子は眠りが浅いのか、たまに目を開けてこちらを見ていました。
つぶらな瞳が素敵です。顔がちょっと犬っぽい気がするのは私だけでしょうか。
ホッキョクグマ
大きな体躯でのしのしと歩き回っていました。
ちょっとイライラしているのか、角に行く度に首を大きく振って旋回していたのが印象的でした。
白くて綺麗ですが、やはり熊は熊だなと迫力に圧倒されました。
西園
東園を満喫しているといつのまにか16時ごろになっていました。
東西エリア間の移動はモノレールが走っているのですが、どうも16時までの受付だったらしくギリギリアウトに。
乗れずに残念でしたが徒歩で西園へ向かいます。
待ち時間を考えると、モノレールとそれほど変わらない時間に西園に到着することができました。(次回はモノレール乗ってみたい)
西園は駆け足気味だったので写真少なめですが、紹介していきます。
ペンギン
東園と西園を繋ぐいそっぷ橋を渡って入ったすぐのところにペンギンがいます。たくさんいます。
優雅に泳ぐ子や歩き回る子、見ていて飽きないのがペンギンのすごいところ。
可愛い子がいっぱいいて見入ってしまいました。
ハシビロコウ
一時期ネット上で顔が怖い鳥として有名になり、某けも○フレンズにも登場したハシビロコウ。
くちばし大きい。そしてじっと動きません。
一緒にいった恋人と「全然動かないね」と話していると、若干顔の角度を変えてくれました。そのサービス精神の大盛さを見ると、見た目よりフレンドリーなのかもしれません。
プレーリードッグ
砂漠のアイドル、ミーアキャットちゃん。可愛かった。
一身に中空を見つめる姿が印象的でした。
通りすがりのカップルが「ライ○ンキングの子だよね。プンバァの相方の」「トム!」という会話をしていましたが、「ティモン」だと思います。トムって・・・。
ワニ
最後の紹介はワニ。種類はちょっと失念しました。すみません・・・。
口の外に飛び出している歯が怖いのですが、意外と瞳がつぶらで可愛かったです。
でも水の中からこんなの出てきたらもう絶対死ぬしかない気分になりますよね。
感想
東園、西園ともに思った以上に広く、そして色んなところから眺められるように展示が工夫されていたので、とても楽しめました。
ただ、2時間半ではちょっと駆け足気味になってしまったので、もしこれから行かれる方はもう少し時間に余裕を持って入園されると良いかもしれないです。
16時半や45分頃には展示が終了してしまう動物も多いので。
土曜日ということで結構な混雑を予想していましたが、人はそこそこ多かったものの、そこまでストレスを感じることなく回ることができました。
また機会があれば行ってみたいと思います。
夏の最後に楽しい思い出ができて良かったです。
動物園っていつの間にか時間が過ぎていてビックリしますね。
次回はぜひ今回泣く泣く飛ばした動物たちや、モノレールなども満喫できればなと思います。
皆さんもぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。