アラサーニートの雑記帖

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【小説】東野 圭吾『白夜行』を読みました

今回は久々の小説レビューです。

なんと前回から1ヶ月以上開いてしまいました・・・。

文庫本で850ページくらいあって、まとまった時間を取らずに移動時間などにちょこちょこ読み進めていたら、いつの間にか読み始めてからかなりの時間が経っていました。

ただ、今回の小説は登場人物が多く、長い年月にかけて追っていく形の構成だったので、しばらく読んでいないと人物同士の相関が曖昧になってしまったりで、ページ数が多いからこそ一気読みすれば良かったな、とちょっと後悔しています。いつか再読する時は、まとめて読もう。

 

東野 圭吾『白夜行』(1999年)

福山雅治さん主演で連続ドラマ化された『ガリレオ』シリーズや、『手紙』『さまよう刃』など多くの作品が映画化もされている、知らない人はいないであろう稀代の人気ミステリ作家・東野圭吾さんの作品。

本作自体も2006年にドラマ化、2011年には映画化され、どちらも大きな反響を呼びました。

1973年、大阪の廃墟ビルで質屋の店主が遺体で発見された。何人かの容疑者が捜査線上に浮かぶも、結局事件は迷宮入りしてしまう。月日は経ち、当時小学生だった被害者の息子・桐原亮司と容疑者の娘・西本雪穂はそれぞれが別の道を歩んでいく。そんな二人の通った道にいつも残る陰。19年の足取りを追い見えてくるものとは。

白夜行 (集英社文庫)

白夜行 (集英社文庫)

 

ドラマ化や映画化でタイトルだけは知っていて、評判が良さそうだったのでずっと気になってはいたのですが、長年手に取る機会がなかった本作。

ブックオフで見つけて、そういえば読みたかったんだったと思って、この度数年越しにやっと読むことができました。

東野圭吾さん自体は、ドラマの『ガリレオ』で存在を知り、『探偵ガリレオ』を読んで面白くてびっくりして、それから『手紙』や『さまよう刃』など、映像化で話題になったものをたまに読んでいましたが、多作で、作風も様々で、安定して面白い。才能に溢れた作家さんというイメージです。

東野作品には色々なテイストのものがありますが、本作はかなりダークです。

主人公二人は二人共に賢く、そして冷たい。

二人の感情の描写を極端に排除することで、より一層作品全体の温度が下げられ、そしてどんなに想像力を働かせても悲劇でしかない二人の境遇や心情に、さらに体温を奪われていきます。

この作品には救いはありません。

主人公たちはただ淡々と白夜を歩き続け、彼らの行く先にいる人々も、いつの間にか白んだ夜の中に沈み、彼らの道に溜まる陰となっていきます。

段々と霧が晴れて全体像が見えてくる、ミステリーとしての面白さももちろんあるのですが、結局は二人の心の中までは触れられず、「真実のようなもの」と二人にしか(もしくはそれぞれにしか)わからない真実の間に横たわる何かや、真相にたどり着いたからといってその先に何も見えない空虚さが、この作品の魅力のように感じました。

 

※ここからは作品の核心部分、ネタバレを含みます。ご注意ください。

 

霧は晴れても、夜は明けぬまま

1件の殺人事件から19年間。

被害者と容疑者の子供たち二人を、その接点を持たせないままに、そして二人の心情を直接語らせないままに描き出していく手法で、見事に読者の想像力を掻き立てる作品になっています。

あまりに視界の悪く長い道中を、主に刑事(後半では元刑事)の笹垣が水先案内人として手を引いていき、最後には二人のおおよその足取りを見せてくれます。

いくつもの事件が起きている上に、違う時系列や視点の話をいくつも重ねていくような構成になっているため、ラストに笹垣が真相を語っていくまでは、事実と疑問で散らかったまま読み進めていくことになりますが、ラストにかけてそれらは徐々に整理されていき、それまでの出来事や事件の形は見えるようになります。

しかし、結局事件の全体を眺められる視点を持った後も、誰も二人の心に近付くことはできません。

笹垣は執念で二人の辿った道のりを浮かび上がらせるところまでたどり着きましたが、あと一歩のところで二人の心に触れるチャンスを逃します。そして恐らく、もうそのチャンスは二度とやってこないのではないかと思います。

もしも、亮司を捕まえることができていれば、あるいは二人を白夜から昼の太陽のもとに連れ戻すことができたのでしょうか。

 

二人はの求めるものはなんだったのか

亮司と雪穂は、作中で様々な罪を犯します。

産業スパイにレイプに殺人。自分たちの邪魔になるものは徹底的に排除していきます。

そしてそのために、他のどんな人たちも利用し傷付けることを厭いません。

どうしても欲しいもののために、お互い以外の全てを捨てる。そのこと自体は、行いに共感はできなくとも、理解はできます。

しかし、改めて思い返してみて、彼らがそこまでして望んでいたものは一体なんだったのだろうと疑問に思うのです。

亮司は、彼の願いはきっとただ雪穂に幸せになって欲しかっただけ。

そのために自分自身がどこまで沈んでも、一生白夜の中を彷徨うことになっても構わないと思っていた。

ただ、それが愛ゆえのものかはわかりません。強い贖罪の意識からきていたのかもしれない。愛であれば良いな、と思ってしまうのですが。

しかし、雪穂は一体なにを求めていたのでしょうか。

私には、彼女の中身はずっと空っぽだったように思えてなりません。

先に見据える望みなどなくて、ただ、彼女を煩わせるものを排除していっているだけのように見えるのです。

なにを望めば良いかもわからなくて、ひたすら白夜の中を歩いている。

彼女はいつかどこかに辿りつけるのでしょうか。

 

雪穂は亮司を愛していたか

この作品の印象は、雪穂という人物をどう捉えるかで大きく変わると思います。

基本的に心の一部を失ってしまっているのは間違いないと思うのですが、一部の人に対しては愛情や愛着を持っているのか、それとも自分以外の全てに対して(もしかしたら自分に対しても)感じるべき感情自体を失ってしまっているのか。

私は読み終わってすぐは、雪穂にとって亮司だけが特別で、ラストの台詞も亮司の気持ちを無駄にしないために、気持ちを押し殺したのだと感じました。(同じく東野さんの『容疑者xの献身』では、似たようなシチュエーションで愛を表現しています。)

そう思いたいという気持ちもあったかもしれません。

しかし、この記事を書いているうちに、もしかして雪穂はもう誰にもなにも感じなくなってしまっていたのかもしれないと思い始めました。

亮司のことは、信頼のおけるパートナーとして、他の人より近しい存在ではあったかもしれないけれど、一番有能な駒だっただけで、他の人と同じく利用していただけだった。

ものすごく虚しいですが、そういう可能性もあります。

雪穂が亮司を愛していたなら、あそこまで多くの人を不幸にして、亮司の手を汚さなくても、二人で生きる方法がきっとあったように思うのです。

仮に亮司に何の気持ちも抱かずに生きていたなら、雪穂の人生はきっと私の想像できないほどの孤独の底にあります。

やっぱりせめて、二人がお互いを想い合っていてほしいと思わずにはいられません。

 

 

静かな絶望の上を行く二人を、ただただ眺める作品でした。

今でも考えるたびにくるくると雪穂の印象が変わっているので、そういった意味で余韻が深く、小説世界の面白さを感じます。いろんな人と語り合いたくなりました。

もし読んだことのある方は、感想や解釈などぜひ教えてください!