アラサーニートの雑記帖

アラサーニートが感じたことや日々の出来事などを綴る雑記ブログです。

【家族のこと】母のこと

実はブログをはじめた当初から、ずっと書きたかったテーマがあって、それが家族のことです。

昨日、父の家族のことを書きましたが、それより以前から、この記事は途中まで書いては消し、書いては消して、ずっとまとまらないままになっていました。

とても個人的なことになってしまうのですが、自分の気持ちや思考を整理する意味で、書いていきたいと思います。

今のところ、家族一人ひとり、1つずつ記事にしていければと思っています。

1回目の今日は母のことを書きます。

 

エネルギッシュで活動的な人

母は、私の家族で一番エネルギーに溢れた人です。

父は昔からずっと単身赴任なので、主に母と祖母の2人で、私と弟の2人の面倒を見てくれていました。

もともと母は専業主婦で、父が家にいないことは、母にとっても、私たち子供にとっても、当たり前のことでしたが、弟が反抗期を迎えて家出したり、家の壁に穴を開けるような大喧嘩をしたりする時、男手がない中ですごく大変だっただろうなと今は思います。

私が高校3年生の頃、母は小さいですが自分の趣味のお店を開きました。

販売の仕事などしたこともない人が、1から勉強して、お店を開いた。すごいことだと思いました。

基本的に、自分のやりたいことは自力でどんどん叶えていくのが母のやり方です。

恐らく私たち子供にも、そういった人生を歩んでほしいと思っているのではないかと思います。

母のエネルギーと強い意志は、私にはないもので、そこが母のすごいところです。

しかし、そこが母の苦手なところでもあります。

 

自信が強い

母は自分自身を強く信じています。

自分の考えや行動が正しいと強く思っています。

その自信が、母の行動力に結びつき、母を強くしてきたのだと思います。

しかし、母は自分を強く信じるが故に、他人に厳しく、そして他人の意見を受け入れる隙間をほとんど持ち合わせていません。

母はたまに店員さんにクレームを入れたりします。

最もだと思うものもあれば、子供の私から見ても、そんなことこの人に言っても仕方ないよ、と思えるものもあります。

そして、最もだと思えるものに関しても、私は母がクレームを入れるのが昔から嫌でたまりませんでした。

そのくらいならちょっと我慢すれば良いのに。同じことを言うにしても、もう少し優しく話せば良いのに。

自分の正しさを信じている母は、いつでも強気です。

相手が謝っていても、誠実な対応をとったとしても、必ず一度は攻撃的に言い募ります。

私はそんなときいつも、内心で店員さんに謝りながら、自分も一緒に怒られているような気持ちになっていました。

母のエネルギーは、正にも負にも、同じように大きくはたらくのだろうと思います。

そしてきっと母から見れば、すっかり波風立てない省エネ型になってしまった私は、理解し辛い人間のひとりになってしまいました。

 

家族を支え続ける人

前述の項で分かるとおり、私は母に苦手意識を持つ部分も多いです。

母のようには振る舞うまいと思いながら生きてきたところもあります。

しかし、母には感謝していますし、素直に尊敬する部分ももちろんあります。

母は「家族」というものをとても強く意識して生きている人で、家族のために、自分が嫌われようが、辛かろうが、精一杯努力し、まっすぐにぶつかることができる人です。

仕事をしながら、病気で弱くなった祖母の相手をし、出来る限り毎日ちゃんとご飯を作る。

嫌われながらでも言うべきと思ったことは言う。

そうやって、家族のことを守って支えてきてくれたのだと思います。

母は煙たがられたり、暑苦しいと思われたりすることもありながらも、自分が大切だと思うものにしっかりと足跡を残すことの出来る人なのでしょう。

私はその逆の人間に育ちました。

良い人だと思われるように振る舞いながら、その場その場ではそこそこ良好な関係が築けますが、あまり誰かの心に残るような人物にはなれないのだろうと思います。

 

私と母

今、仕事を辞めて、実家でまた一緒に住むようになって、今まで以上に母への苦手意識が強くなってしまったように感じます。

高校生までの当たり前に一緒にいた時代から、大学・就職と10年近くを離れて暮らし、その間に私自身成長したり、変化したりした部分があったのではないかと思います。

私が家族から離れて、自分だけの世界に入り込んでいく間に、母は、祖母が倒れたり、弟が一緒に働くようになったり、地震を経験したりと、家族としての絆や繋がりをより強く意識する体験をいくつもして、そこで溝が深くなったところも大きいように感じます。

世代間での仕事や恋愛、結婚に対する意識の違いも大きい。

母は多分、私ともっと話して、溝やすれ違いがあるのなら、そこを埋めていきたいと思っていると思いますが、私にはそうしたいと思える気力が正直あまりないです。

きっと離れて暮らす方が、お互い好きでいられるだろうなと思う。だから私はまた近いうちに、必ず外に出ようと思っています。

熱い母に育てられた私が、なんだか冷めた性格になってしまったことは、母としては思うところもあるだろうと感じますが、私にも私の世界があって、でもそれを母にわかってもらおうと思えないことが、時々私を悩ませています。

でもそのことも、なんだか母には言えない、言いたくないと思ってしまう私です。

明るく優しく、こつこつと頑張り屋さんで自慢の娘だったはずの私は、今さらの反抗期に自分でも戸惑いながら、母との距離をはかっています。

 

 

私がどんなに溝を深めても、なんとかそこに橋をかけようとしてくる母は、きっと有難い存在なのだと思います。母と子だからこそ、そうやって気にしてくれる。

しかし、今の私にはそのことが、とても煩わしく感じられてしまいます。

自分が冷たい人間なのかと感じることも多いです。

愛されて育ってきたのに、多くを与えてもらってきたのに、私は母の思い描いていたような子供にはきっとなれていない。

子供が大人になったときに、親子の関係はどうなっていくものなのでしょうか。

私と母の健全な距離感は、どんなものなのでしょうか。

きっとずっと悩み続けるんだろうな。