父の家族のこと
今日まで父の実家がある宮崎に滞在し、ばっちり渋滞に巻き込まれながら帰ってきました。
お盆のUターンラッシュで車が多かったからなのか、異常に故障車が多く、ちょっと不吉な予感を感じていたのですが、私には霊感はないので、案の定ただの気のせいで、無事に戻ってくることができました。
今回は父の家族について、ちょっと思うところがあったので、それを書いていきたいと思います。
父方の祖父母には敬語で話す
実は、私と弟は父方の祖父母には敬語で話します。
車で3時間ほどかかる遠方に住んでいて、たまにしか会わないからそんなものかなと昔は思っていたのですが、中学生くらいのときに、周りの子たちなどの話を聞いて、ちょっと変わっているのかもと思いはじめました。
祖父も祖母も私たち孫のことを可愛がってくれていますし、決して冷たく接してくるわけではないのですが(むしろいつでも電話したり来たりして欲しいと言ってくれています)、なんだか幼いながらに家族に接するように接してはいけないような、もっと遠い親戚のような距離を感じていました。
大人になって、改めて父の家族を改めて見てみると、父や叔父(父の弟)と祖父母の間、つまり父親子の間にも、普通の家族よりも距離があるように感じます。
もっと言えば父と叔父の兄弟間も、私と弟の関係を考えれば、かなり距離があるように見えるのです。
その父の家族間での距離感が、私たち孫と祖父母の間でも距離を生んでいるように思えます。
亭主関白・長男優先の家風
父の実家は、昔ながらの家風で、祖父が一家の主として中心におり、それを妻である祖母が支え、長男である父が優先され、可愛がられ、次男である叔父は少し軽んじられているように見えます。
父は18歳で大学に進学する際に実家を出て、それから就職、結婚とずっと実家とは離れて暮らしていますが、叔父は地元の宮崎で就職し、独り身で、現在は年老いてきている祖父母の手助けをしながら実家で暮らしています。(祖父母はまだ健康で、介護等はありません。家事はそのほとんどを祖母がやっているようです。)
父の実家では、祖父と父が優先され、祖母や叔父はそれを陰から支える役割であるように思えました。
幼い頃はあまり感じなかったのですが、最近になり、家事を一手に引き受け、内助の功で祖父を助け続ける祖母と、老いていく両親のために実家に残っている(ように見える)叔父の二人が、実はずっと我慢してきたのではないかと思うようになりました。
祖母の冷戦
祖母は料理上手で家事上手、何事も如才なくこなし、とても良い妻であるように思えます。
さらに言えば、名家の出で、お茶やお花を嗜み、容姿も並以上。昔ながらの箱入り娘でありながら、夫である祖父のことをしっかりと立て、自分自身も一人で海外に行くなどと先進的な一面も持ち合わせていて、女性としても、人としても、魅力的な人物だなと感じます。
そんな祖母は、いつも文句ひとつ言わずに家中の家事をして、いつでも一歩下がって祖父を立てていて、私自身としては、祖父ももっと手伝えばいいのに、くらいは思っていましたが、そこは祖父母の時代のことでもあって、祖父母は祖父母なりにちゃんと愛し合ってきているのだろうと思っていました。
しかし、最近、祖母の祖父に対する態度が冷たいことに気がついてしまいました。
今まで私が幼くて気付いていなかったけれど、恐らく祖母は祖父のことをもう愛していないのかもしれません。
祖父の米寿祝い
一昨年、祖父の米寿のお祝いをしました。
祖父自身が自ら音頭を取り、大体の内容なども祖父の希望で決めました。
集まれる親戚が集まり、会自体は盛況ではありましたが、私はずっと気になっていたことがありました。
祖母の名前が呼ばれることも、祖母が表に出ることもなかったことです。
祖母はずっと、祖父の隣にただ座っていました。
もちろん、祖父のお祝いの席ではあります。祖父が主役です。
しかし、何十年も人生を共にしてきた祖母に対して、感謝の気持ちやなんなら花束でもあげても良いくらいじゃないかと思いました。
祖父が元気に88歳を迎えられたのも、ひとえに祖母のお陰です。
そのことをきっと祖父は思いつかないのだと思いました。
そして今回の訪問で、祖父は今度は卒寿のお祝いをするのだと言いました。
そしてその時にちょうど結婚60周年になるので、それも一緒に祝うと。
この時、祖母は全く嬉しそうではありませんでした。
今思うに、祖父は祖母をないがしろにしすぎていました。
きっと祖父は祖母のことを好きだと思います。思いますが、祖母がやってくれている全てのことに感謝を示すことや、祖母が喜ぶことをしてあげたいという気持ちがなさすぎた。
亭主関白自体は、そういう時代であればそんなに問題だとは思いません。
しかし、もしもそういう風に生活を営むのであれば、相手への感謝や気遣いはより一層大事な部分だったのではないかと思います。
ありがとう。あなたが大事だよ。
そういう気持ちを祖父はちゃんと感じて、伝えなければいけなかった。
なにも与えられずに、ずっと与え続けてきた祖母には、もう祖父に与えるべき感情があまりなくなってしまったように感じられます。
祖母の静かな、でも厳しい攻撃に、祖父は気付いているのでしょうか。
きっと冷戦は冷戦のまま、鉄砲は火を吹くことなく終わるのだろうけれど、私は祖母の静かな戦いをひっそりと応援しています。
叔父の反乱
叔父は映画好きなもの静かな人で、人見知りであまり喋らないのだと、大学生になるくらいまでずっと思っていました。
しかし、私が成長するにつれて、叔父は別にあまり喋らない人ではないのだと気付きました。
洋画も邦画も、実写もアニメもジャンルに関わらず本当にたくさんの映画を見てきている叔父の話は、映画好きの私には面白く、興味を持って聞いていると、叔父は楽しそうに話します。
恐らく昔は私があまり話しかけなかったので、叔父もなかなか話しづらかっただけだったのでしょう。
そんな叔父と父は、兄弟でありながらあまり喋らず、私と弟のように冗談を言い合うようなこともなく、その距離感にはずっと違和感がありました。
実家に縛られ続けた人生
叔父は、前述の通り、地元に就職し、結婚もせずに実家に両親と住んでいます。
若い頃には結婚の直前までいった女性がいたそうですが、祖父(叔父にとっては父)の反対で結婚できなかったというようなことが何度かあったらしく、結局今も独身のままです。
長男である父がずっと家を出たまま、年に2~3回遊びにくるだけという状況で、段々と年老いていく自分の両親を見続けて、優しい叔父は実家から離れられなくなってしまったのだと思います。
そうやって両親の側で見守り、助け続けているにも関わらず、家長である祖父は長男の父を優遇し、叔父は次男であるというただそれだけのことで、祖父にも父にも、どこか低く見られてしまっている。
叔父の人生は一体、どこで報われるのでしょうか。
家族を呼び捨てにしていた
実は叔父は、大学を出てしばらくしてから、両親である祖父母や、兄にあたる父のことを、名前で呼び捨てにし始めたそうです。
それまでは普通に父さん、母さん、お兄ちゃん、などと呼んでいたにも関わらず、です。
このことは、今日私たち家族で話していて、初めて知ったことです。
びっくりしました。そんな風なことをするとは全く思ってもみなかったからです。
きっとそれは、叔父なりの家族への反乱だったのではないでしょうか。
幼稚なやり方かもしれない。意味のないことかもしれない。
しかし、叔父は叔父なりに、自分自身の意思や叫びを、呼び方を変えることで示したかったのではないかと感じました。
自分は不当に低く見られているのだと感じた叔父の、精一杯の反乱。
反乱の成果なのか、祖父もさすがに丸くなったのか、今でこそ叔父には感謝と申し訳ない気持ちでいっぱいだ、と語るようになりました。
しかし、実家に縛られ続けた叔父の人生は、今からどこかへ向かえるのでしょうか。
それでも、その小さな反乱が、叔父の心を鼓舞するように祈っています。
家族は様々。他人にはわからない事情が色々とあるものです。
これまで、何気なく見ていた父の家族ですが、自分も大人になり、少しずつ視点も増えて、改めて眺めてみると、なんだか少し歪に感じられました。
私が穿って見すぎているだけで、実際はもっと父の家族ならではの絆が強く結ばれている場合もあると思います。そうであれば良いと思う。
しかし、よく見れば見るほど、そこには大きな穴が開いているように見えてしまいます。穴はあるのに、お互いがその穴を無視して、もしくは気付かずに生活を共にしている。
家族って一体なんなのでしょうね。