アラサーニートの雑記帖

アラサーニートが感じたことや日々の出来事などを綴る雑記ブログです。

【小説】湊 かなえ『豆の上で眠る』を読みました

2週間の東京ライフから泣く泣く足を洗い、本日無事地元に戻ってきました。

愛するさくらちゃん(豆芝)に全力の尻尾フリフリでお迎えされた今、帰りの飛行機が積乱雲による気流の乱れで一瞬落ちて、(気持ち的に)死にかけたのも良い思い出です。

もともと飛行機が苦手な私は、ガクガクと揺れる飛行機の中で、脳内で神様にめっちゃお祈りをしつつ、心頭滅却すれば火もまた涼し、とばかりに読みかけの小説に読み耽って(いるポーズをして)おりました。

たまにくる大きな揺れに気を取られつつも、着陸直前になんとか読破できたので、今回はその小説のレビュー記事です。

 

湊 かなえ『豆の上で眠る』(2014年)

本屋大賞受賞や映画化などで話題をさらった『告白』で衝撃のデビューを果たし、それからも質の高いミステリーを発信し続ける湊かなえさんの作品。

結衣子が小学一年生の時に起きた、二歳年上の姉の万佑子の失踪事件。万佑子は二年後に帰ってきたが、結衣子は大学生になった今でも、姉に対してぬぐえない微かな違和感を抱き続けたいた。姉は偽者なのではないか・・・。直感と思考、想像と現実の間で揺れる結衣子。奇妙な違和感の先にある真実とは。

豆の上で眠る (新潮文庫)

豆の上で眠る (新潮文庫)

 

まず、タイトルが秀逸だなと思いました。

え、どういう本?と思わず手に取ってしまいます。

そこで湊かなえさんときて、失踪して戻ってきた姉が別人かもしれないなんてあらすじ、これは買わざるを得ないですよね。

タイトルの「豆の上で眠る」というのは、語り手の結衣子が姉に対して抱き続けている微かな違和感を指しています。

アンデルセンの『えんどうまめの上にねたおひめさま』という童話からきており、童話の中のお姫様は、ベッドの下に置かれた小さな豆の僅かな違和感を感じ取ったことで「本当のお姫様」と認められて王子様と結婚し幸せになります。

この童話自体が結衣子と万佑子の思い出として作中の重要なアイテムになっていますが、そこから「違和感」と「本物」という二つのテーマがひかれています。

当時と今の視点が交互に描かれ、結衣子の当時の記憶と現在から振り返っての考察がじっくりと開かれていくのですが、物語は終盤まで霧の中を歩くようで、読者も結衣子と一緒に違和感の正体、帰還した姉の正体を探り続けている感覚に陥ります。

そこからラストの怒涛の展開。

テンポの切り替えが本当に素晴らしかったと思います。

小説としてのエンターテイメント性を高く保ちつつ、読後に思わず考えてしまうテーマ性を併せ持った小説でした。

 

※ここからは軽度のネタバレを含みます。なるべく核心に触れないようには書いていますが、未読の方はご注意ください。

 

構成が優れた作品

前述している通り、この作品では、終盤まで作品のほとんどが結衣子の思い出と思考のみで描かれており、現実的に話が進展するのは、6章構成の本書のうちほぼ6章のみになっています。

つまり、最終章までの5章分は、ほとんど結衣子の目を通した過去の出来事しか覗くことが出来ず、結衣子と同じように、ここは怪しい、でもこれは信じるべきなのでは、と悩み続けることになります。

結衣子と同じようにもやもやし続けてきた読者には、立っている現実が丸ごと崩れていくような最終章の真実のたたみかけが、本当によく効きます。

あーそういうことだったのか、と真実がわかってすっきりする反面、あーそういうことだったのか、と別のもやもやが始まるのを感じます。

この結衣子の想像・思考から、真実を捉えてからの現実の反転具合を追体験するのに、とても優れた構成になっているなと感じました。

 

親にとって姉妹、兄弟とは?

この作品では、結衣子は姉・万佑子の失踪事件の犯人探しのため、危険かもしれない人物たちのもとに何度も送り出されます。

送り出していたのは母親で、しかもそのために猫まで飼いはじめる周到さです。

(猫探しと偽って犯人探しをしていました。)

もしも、結衣子が訪ねた先に本当に犯人がいたならば、結衣子は危険な目にあう可能性がありますし、実際に、犯人ではないですが男性に身体を触られ逃げる描写もありました。

また、何度も繰り返していた結衣子の猫探し=犯人探しは大人たちの間でうわさになり、それが学校の友達にまで広がり、結衣子は無視されたり、遊びに誘われなくなったりと楽しい学校生活を失っていきます。

母親が万佑子の捜索のために周りが見えなくなっていたとしても、きっと、結衣子がどういう状態にあるのか、薄々は気付いていたと思うのです。

そして結衣子自身、自分がいなくなった側であれば、母親は万佑子にはこんなことはさせないだろう、と感じています。

母親にとって、万佑子は守るべき存在だったのだろうと思います。

それでは結衣子はどういう存在だったのでしょうか。

病弱だった万佑子を気にかけていた、出来の良い万佑子を気に入っていた。

それはなんとなくわかるのですが、そのことで結衣子本人が気付いてしまうくらいに愛情の偏りが出るということが、私にはまだ感覚として理解できない部分がありました。

親も人間なので、姉妹や兄弟、どちらも同じ自分の子供と言えども、気が合ったり合わなかったり、気に入ったり気に入らなかったりする部分は当然あるとは思います。

ただ、「自分の子供」という愛情の源となる魔法が、複数の子供達の比較という部分でどのように分配されるものなのか、親にとって複数いる子供達はどのように捉えられているのか、そこが個人的に少し気になりました。

 

選び、捨て、作ること

作品の核心部分に触れてしまうのであまり詳しくは説明できないのですが、本作の失踪事件において、色々な人が選んだり、捨てたり、また関係を作ったりということが様々に行われています。

この時に、選ぶ側の人間と、その選択をただ受け入れるしかない側の人間がいるように感じました。

万佑子はまさに選ぶ側の人間で、結衣子はそちら側の人間にはなれなかった。

また、さらに可哀想なことに、結衣子は子供だったからなのか、真実に触れる機会を与えられていませんでした。

そのことによって、選ばれなかっただけでなく、新しく作るべき関係性を築くことすらできず、結衣子の道は(少なくともこの作品の中では)行き止まりになってしまったように思います。

選択肢を閉ざされていた結衣子は、どこかに幸せになれる抜け道があったりしたのかな、と考えてみるのですが、両親のひいきを感じる子供で、大きな事情を抱えて、長い間愛すべきはずの姉に違和感を抱き続けた結衣子の人生は、かなりハードモードだなと思ってしまいました。

 

現実の足場はなんなのか

結衣子は万佑子の失踪と帰還の真実、帰還した姉の正体などを知り、信じていた世界が全く別の形をしていたことに気付いてしまいます。

結衣子がそれまで生きてきた世界は、丸ごとなくなってしまったのです。

私も最近同じように、あることを知って、あー、私の生きてきた世界は本当じゃなかったと感じることがありました。

その時に、現実は自分が信じている姿をしているのだと感じました。

だから、自分が信じていたものが信じられなくなった時、なにを基準に見ればいいのか、どこに足を踏ん張って立てばいいのか全くわからなくなってしまい、世界がぐにゃぐにゃと歪んでいる感じがしました。

きっと結衣子もそうじゃないかと思います。

自分の現実の足場は、自分が信じている世界にしかない。

信じていたものが丸ごと壊れた結衣子の世界は、これからどうなるのでしょうか。

新しい足場が、少しずつでも組み上げられていくと良いのですが。

 

 

先が気になるミステリー的要素と、読後にじくじくと痛んでくるようなテーマの設定など、個人的にかなり完成度の高い作品だと感じました。(上から目線っぽくなってすみません!)

私もしばらくは、「本物」とはなんなのか、私の世界はなんなのか、考えてしまうと思います。

小説を楽しみながらも、長引く傷を負いたいドMな方には特にオススメです!

傷を深める結衣子を眺めたいドSな方も楽しめるかと思います。

ぜひ読んでみてください!