アラサーニートの雑記帖

アラサーニートが感じたことや日々の出来事などを綴る雑記ブログです。

車の運転超苦手⇒ちょっとマシになったので、そこまでの道のりやポイントを語ります

まだブログを初めて間もない6月の半ば頃、私はある記事を書いていました。

こちらの記事。

zakkicho.hatenadiary.com

車の運転苦手だよー!怖いよー!という記事です。

一人暮らし中はほとんど車に乗る機会のなかった私。元々苦手だった運転ですが、さらに見事なペーパードライバーぶりがたたって、実家に戻ってすぐに、実家の敷地内で車に結構な傷を入れてしまう大失態をおかしました。

それでさらに苦手意識が深まり、上記のような記事を書いたわけですが、それから徐々に車を運転する機会も増え、最近ちょっとマシになってきたかも!と感じるようになったので、もしかしたら同じように運転が超苦手な方のちょっとした参考程度にはなるかもしれないと思って、今回、私のちょっとマシになった体験談を書くことにしました。

※本当に運転超怖い・超苦手という方向けです。ちょっと苦手かも、くらいの方は私より運転が上手く、参考にならない可能性が高いですのでご了承ください。

 

上達には実践あるのみ

いきなり結論なんですが、私がここ3ヶ月ほどで強く感じたのは、やっぱり上達するには実践しまくるしかないんだ、ということです。

とにかく車に乗ってハンドルを握る。

走りも駐車も実践あるのみです。

しかし、いきなり一人で乗り回すのかと言われれば、運転が超苦手だと感じている人たちにとっては、それはなかなか難易度が高いです。それにやっぱり危険もある。

さらに、無理をして失敗してしまえば、運転に対してより苦手意識が強まる可能性もありますし、車の失敗は取り返しのつかない事態になる可能性だって低くありません。

私の場合は、次のような感じで簡単なことから始めて、徐々に慣らしていきました。

  • 短い距離⇒長い距離
  • 慣れた道⇒知らない道
  • 大きい道⇒細い道
  • 走行のみ⇒駐車など全て
  • 同伴者あり⇒一人で

 

一人で運転するのは高い壁がある

最初の頃は、母や弟など運転に慣れた人に助手席に乗ってもらい、よく行く近く飲食店から自宅までなど、慣れた道、しかもその中でもできるだけ大きい道ばかりを走ることから始めました。

その上、駐車は苦手意識もかなり強く、また車を傷つける可能性もあるので、駐車は母や弟に代わってもらっていました。

つまり、一番最初に私がやっていたのは、誰かに同伴してもらった上で、知っている大きい道をただ走るだけでした。

それで運転自体への拒否感が薄くなり始めた頃に、同伴者はもちろんありの状態で、あんまり知らない道や、ちょっと細い道、停めやすい駐車場などに挑戦するようになりました。

最初の拒否感や強い恐怖感が抜けてくると、隣に家族が乗っていてさえくれれば、ある程度色々なことに挑戦するのにそれほど抵抗はありませんでした。(上手くできるかどうかは別として)

一番時間がかかったのは、一人で車に乗ることでした。

慣れた道だろうが、大きな道だろうが、一人だけで運転するということは、私にとってかなり勇気のいることでした。頼れる人がいないというのはやはり心細いものです。

車に乗るようになって2ヶ月ほど経ってようやく、知っている道でどうしても乗るしかないなら・・・、といった感じになりました。

同伴者がいた時と同じように、慣れた大きな道から始めて、最近やっと知らない道や少し細い道も走れるようになってきました。

一人なので駐車は強制的にやらなければならず、駐車に関してもだいぶマシになってきたと思います。

ざっと流れをまとめると下記のようになります。

  1. 同伴者ありで、知っている道・大きい道の走行のみ
  2. 同伴者ありで、知らない道・細い道、駐車などもやってみる
  3. 一人で、知っている道・大きい道の運転+駐車
  4. 一人である程度運転できる!

大事なのは、無理せず徐々に慣らしていくことかなと思います。

出来る限り同伴者ありの状態で色々練習する機会があると、だいぶ苦手意識も薄れて独り立ちしやすいです。

 

わかったら運転しやすくなったポイント

これまでは、上達までの流れを見てきましたが、練習する中でこれがわかったら運転しやすくなったと感じたポイントがあったので、そちらを紹介していきます。

 

ミラーを活用すべし!

まず、私が一番運転しやくなったと感じたのは、ミラーの活用を覚えたこと。

運転で使うミラーといえば、ルームミラーとサイドミラー、そして車の設備ではないですがカーブミラー。

私は最初の頃、これらのミラーの有効活用ができておらず、視野が相当に狭い状態で運転していました。

前ばかり見ていましたし、後続車の確認なども、全てを直接視認しようとしていました。

ミラーの確認とか教習所でも習ったはずなのに・・・。

特にサイドミラーに関しては、角度によって見える範囲が大幅に変わり、思っていたより広範囲をカバーしていました。

車線変更などでの後方確認はもちろん、駐車の際など、角度を変えることで、障害物のある部分をぴったりと捉えることができることも多いです。

ミラーで確認したからといって直接確認を怠ってはいけませんが、最初にミラーで確認できるとしっかり意識しておくことで、運転がかなりスムーズになりました。

 

意外とみんな停まって待ってるから焦らなくて大丈夫

私は、細い道や右折待ちで長く停まってしまうと、なんだか後ろの人に申し訳ないと思って焦ってしまうことが多くありました。

しかし、自分がそこそこ運転するようになってみると、私が思っていた以上にみんなよく停まっていることに気が付きました。

なんだか自分は運転が下手だから長く停車してしまっていて、他の人たちは基本的にスムーズに、停まったとしてもベストな位置で僅かな時間だけ停まっているのだと思っていましたが、そんなことはありませんでした。

みんな意外と長く停まって、しっかり待っています。

無理をすれば事故に繋がる危険性があるのですから、落ち着いて考えたら当たり前ですよね。

だから、細い道も右折も、自分が大丈夫だと思えるだけ待って大丈夫。

それを実感できてから、運転への拒絶反応がだいぶなくなり、比較的冷静に車を動かせるようになりました。

 

駐車は細かく切り返せばなんとかなる

駐車は今でも苦手ですが、なんとか一人で停められるようになりました。

ポイントは一発で入れる必要はないと意識すること。

細かく何度も切り返していけば、いずれはなんとか納まります。

焦らずゆっくりちょっとずつ切り替えしていけば、車は結構狭い場所でも意外と向きを変えられるものなのだと実感しました。

もちろん広い駐車場で何度も切り返しちゃう私はカッコイイとは言えませんし、他の方の邪魔になっている場合もあるかとは思いますが、超苦手⇒ちょっとマシになってきているところなので、そこは致し方ありません。

最大限に頭を下げますので、「チッ、こいつ運転超下手だな」と内心思うに留めて許して頂けると助かります。

前述の細い道や右折の際の待ちもそうですが、基本的に「下手だからしょうがない。がんばるのですみませんが今は許して」とある意味開き直るくらいの気持ちでいきましょう。

 

 

車の運転超苦手な皆さん、いかがでしたでしょうか?

はじめは運転超下手でも、ちょっとずつ慣らしていって乗り続けることで、普通に下手くらいまでにはとりあえずなれました!

以前は多少無理をしても歩ける距離なら歩く派でしたが、最近は逆に車で行けそうなところは車で行ってみようと思えるようになって、初めて行く場所にちゃんと辿り着いたり、ちょっと難しそうな駐車場になんとか停められた時などは、結構達成感があったりして面白みも感じています。

まだまだ下手の域を出ませんが、以前に比べて明らかに上達を感じていますし、一人で運転できるようになったことで、家族の手伝いで出来ることが増え、気持ち的にも少し上向きになったように思います。

ただ、こういう時が油断して事故を起こしやすいとも思うので、気を引き締めて、無事故無違反、ペーパーじゃなくてもゴールド免許を守れるように運転を続けていきたいと思います!

自分が正しいと思っている人同士の話し合いは聞いているだけで疲れる

今回はただの愚痴です。ごめんなさい。

このブログでは何度か書いていますが、私の母親は気が強いです。

そして、自分は正しいと考えて譲らないタイプ。

そんな母の元に、今日同じタイプの方が訪ねてきました。

母がやっているとあるグループの集まりに関して、弟が今運営側で入っているのですが、その弟の不手際に対して注意と苦言を伝えにきたようでした。

仮に訪ねてきた方をAさんとします。

 

トラブルの内容

母の運営するグループは最近運営担当の入れ替えを行ったようで、Aさんから弟やB君(弟の友人)たち若いメンバーに引継ぎが行われている途中です。

今回が弟たちにとって初めての集会運営の仕事だったようです。

次にある集会の資料作成に際して、前回担当していたAさんに資料のテンプレートをもらえるようにお願いしていた弟たち。

資料は本来複数ページからなるもので、集会の案内や提案、会計的な内容などがあり、会計部分はB君が担当するようになっていました。

そこでAさんは弟の担当分は弟に、会計部分はB君担当なのでB君に、とそれぞれの担当ページのみをそれぞれに送付したようでした。

結果、弟のもとに届いていたのは集会案内のフォーマット1枚のみ。

前回の資料は複数枚だし、本当にこれで大丈夫なのかと思った弟は、Aさんに電話で1枚しかないけど大丈夫ですか、と確認を取り、Aさんもその時はそれで大丈夫だと答えたそうです。(母もその電話を聞いており、どうやらそのことは間違いなさそうです。)

もともと集会の1週間前に参加者に資料をデータで送信することになっていますが、Aさんからの回答を受けて、事前配布は集会案内の1枚のみ、残りの資料は当日配布と考えた弟は、B君とともにその日程で動いていました。

そして集会前日となった今日、Aさんが、送られてきた資料が完全じゃない、案内だけじゃないか!とやって来られたわけです。

 

Aさんと母のバトル

Aさんが来られた時、たまたま弟が不在だったため、母が対応することになりました。

「弟君からきた資料揃ってないみたいだけどちゃんとやってるの?」といきなり切り口上のAさん。

もともと弟の動きが少し遅く、資料に関しては母も急かしていたので、その旨を告げるとともに、「でも案内は先日送ってますよね?」と確認する母。

そもそも1週間前までに全ての資料を揃えて送るのが当然と主張するAさんに、でも弟はAさんに電話で何度もその旨確認していたはずだと反論する母。

主張自体を聞いていると、Aさんのテンプレートの送り方(担当部分のみを担当者に送信)というのは微妙だなと思いましたが、事前送付が案内のみになってしまった経緯も、Aさんと弟たちの認識のずれの問題だし、弟たちも初めての仕事ならはやめに進めて、完成したものを確認してもらうとかしとけば良いのに、とは思いました。

しかし、Aさんはなんというか、自分の非を認めない、煽るような物言いでそれだけでイライラさせられてしまうのです。

「俺が思うほどみんな賢くなかったんだね」

「みんなこんなことはわかると思ってた俺の方がバカだったね」

「あなた(母)の言っていることは間違いで、俺のやり方が正しいんだよ」

私は会に関係しておらず、その場に居合わせただけだったので、ただ聞いているばかりでしたが、内心なんだこいつ!?とイライラがすごかったです。

対して母も、自分の息子のことでこんな風に言われているわけなので、当然ヒートアップしながら反論しまくります。

しかし、母よ。あなたももうちょっと冷静になって・・・。

「私の参加した他の集会ではこうだった」

「私はこんな風にやっていた」

あなたが正しいとは限らない!と主張したいようなのですが、結局母も私が正しいモードに入ってしまい、話は主題からずれていきます。

この人たち、なに話してるんだろ・・・。

 

自分が正しいことを主張するだけのやり取りは時間の無駄でしかない

母と一緒にいると、前述のように、「私はこうだった」「私はこう思う」ということばかりを言い募り、結局なんのために話しているのかわからない、というような状況をよく目にします。

今回の場合は、相手のAさんも似たようなタイプなので、余計にその傾向が強かったように思います。

そもそもAさんは何をしにいらしたのか。

わざわざ来てくださったのだから、「弟たちの仕事がちゃんとできていない」に加えて、なにか伝えたいことがあったはずです。

だから今からでも良いからやってほしい、なのか。今回はもういいけど次回からは気をつけてくれよ、なのか。なにかしらあったと思うのです。

しかし、Aさんは前述の通り、「期待した俺がバカだった」「俺が正しい」を繰り返すばかりですし、母の方も「私の場合こうだった」「あなたが正しいとは限らない」を繰り返すばかりです。

話はずーーーっと永遠に平行線のままで、お互い着地点を確認しようともしない。

延々と続く言い合いに、参加もしていない私の方がストレスマックスで消耗していきます。

お互いもういい大人なんだからさ、冷静に、最低限の節度を守って話そうよ。

そう、節度ですよ。マナー。

相手に出来る限り嫌な思いをさせないように配慮するのは、会話のマナーではないですか?

「これできてなかったよ。今からでも完成させて。orこれからは気をつけてね。」

「息子もここは確認をとって進めていましたよ。でもこの部分は悪かったし伝えておきます。」

とりあえず、これだけで済む話じゃないですか。

カチンと来て反論したくなる場合があるのはわかります。私だって弟のこと必要以上に悪く言われて結構ムカついてはいましたよ。

でも、それをその感情のままに表に出すのは大人のやり方じゃないと思っています。

どうしても譲れない部分は主張すべきと思いますが、あくまで冷静に、相手に投げつけて押し付けるのではなく、「伝えて」「理解してもらう」姿勢でいるべきだと思いますし、相手にも相手の主張があって、自分もそれを「聞いて」「理解しよう」とする姿勢が大切だと思います。

「私が正しい」と言い合うことに終始するだけなら、その時間は完全に無駄であるだけでなく、互いに嫌な思いまでしてマイナスになるばかりです。

反りが合わないなら余計に、必要最低限のやり取りだけして離れればいいじゃないですか。

だから苦手な相手なら余計に、「話の目的・着地点はどこか」「どうやって折り合いをつけるか」そういう部分をはっきりさせて、感情的なやり取りは避けた方がはやく済むはず。

相手が熱くなればなるだけ、冷静になれる強い精神力が欲しい・・・!

 

 

ダラダラと書いてしまいましたが、結局言いたかったのは、会話は思いやりが大事ってことでしょうか。相手のためにも。自分のためにも。聞かされる人のためにも(笑)

あと、初めての仕事は早め早めに確認して進めておくべき。

Aさんの言っていることの半分くらいは間違ってなかったぞ、弟よ。

そして、こんな愚痴を2700字も書いてしまって、私が皆さんを疲れさせてしまったかもしれない、と今さら思っています。すみません・・・。

偉そうなことを書きながら私が冷静ではなかったな、と反省しつつ今日はこのへんで失礼致します。(やっと冷静になってきた)

仕事から早く帰りたい私がやっていたこと4選

今回はニートのくせに仕事のこと、しかも仕事術みたいなことを偉そうに書きます。

嘘です。謙虚な姿勢で書きます。

今まで仕事に関しては、コールセンター、飲食業とアルバイト関係の体験談のようなものを書いてきましたが、今回は前職の事務職時代の経験をもとに、とにかく早く帰りたかった私が実践していたことを書いていきたいと思います。

 

仕事に対するスタンス

まず、前提として、私の仕事に対するスタンスを書いておきます。

私は今年29歳のがっつりゆとり世代なので、仕事とプライベートなら断然プライベート優先です。

仕事のモチベーションは「お金を稼ぐ」が9割でした。

それなので、なるべく始業時間のギリギリに出社し、なるべく早く帰りたいと思っていました。

もちろん、お給料を頂いていますので、就業時間中は精一杯集中して仕事をし、成果をあげられるように心がけていました。

つまり、私が大事にしていたことは、どれだけ短い時間で効率よく、納得のいく仕事をするかということでした。

 

早く帰るためにやっていたこと

定時に帰りたい!と思っていても、もちろんなかなかそういうわけにもいかず、必要な場合は残業をしていました。

していましたが、他の人に比べると仕事量に対しての残業は減らせていたように思います。

やっていたことには大まかに下記の4つです。

  1. やることリストでタスク管理
  2. 依頼は安請け合いしない
  3. 残業する日、しない日の調整
  4. キャラクター作り

それぞれ具体的に見ていきます。

 

1.やることリストでタスク管理

基本的に、業務終了時に翌日にやることを書き出していました。

次の日はそれを見ながら仕事を進め、やり終わった項目は線を引いて消していきます。

PCなどでの管理も可能かとは思うのですが、好き勝手に書き込めるので、こういったメモなどはいつも手書きしていました。

やることリストは基本的に一日ごとに新しくして、その日に終わらなかったものは翌日のリストに再度書き入れておきます。

また、タスクを書き込むときに、午前中までのものは「アサイチ」と書いておいたり、締切の日まで余裕があるものは下のほうにまとめたりと、優先順位が自分でわかるようにしていました。

基本的に、一日の仕事はやることリストのその日マストのものに全て線を入れられれば終了しても大丈夫、ということになります。

ただ、私は手書きの方が馴染んだのでこうしていましたが、PCやスマホなどの方が使いやすい場合は、もちろんそれで問題ないです。

大事なのは、やるべきことをしっかり把握して、その中で優先順位をつけておくこと。

そして、それを漏れなく丁寧にこなしていくことです。

 

2.依頼は安請け合いしない

タスク管理をばっちりしていても、不意の依頼が入ることも多いですよね。

そういうときは絶対に安請け合いしないようにしていました。

前職の会社は「NOと言わない」を良しとするような社風でしたが、私は「なるべくNOと言わない」くらいの気持ちでやっていました(笑)

依頼を受けるときは、必ず下記の3つを確認するようにしていました。

  • やるべき内容は具体的になにか
  • 締切はいつか
  • 自分の今持っている仕事とどちらが優先か

どれも当たり前なのですが、体育会系の社風で、上司がさらに上の上司からの依頼で仕事を持ってくるときなど、結構ふわっと伝えてくることが多かったので、その場合も必ず「OKを出す前に」自分から確認するようにしていました。

確認した上で、締切がきつい場合や、先に持っていた仕事が厳しくなりそうな場合などは、必ず「その場で」その旨を伝えて交渉します。

締切を延ばせないか、誰かに手伝ってもらえないか、今やっている仕事を他の人に回せないかなど、具体的にどうすればできそうか提案をすると、上司の心象も多少良くなるかと思います。

仮に交渉が通らなくても、そのときに現状を伝えておくことで、後々の調整などをしやすくなる場合があるので、私はダメ元でも必ず伝えるようにしていました。

NOのパターンを先に書いてしまいましたが、条件を確認して問題なく出来そうな場合は感じ良くOKを出し、なるべく迅速に仕上げます。

そうやって、普段から信用をあげておくことで、NOを伝えたり、交渉するときに話を聞いてもらいやすくなります。

こうやって、出来る限り自分の能力の範疇でなるべく残業しなくて済むように仕事量を調整していきます。

 

3.残業する日、しない日の調整

前述した通り、仕事量的に毎日定時あがりなんて難しいので、それなりに残業はしていたのですが、いつ残業をするのか、というのはなるべく自分で調整できるようにしていました。

まず、事前にわかっている仕事に関しては、時間に余裕があるときはなるべく前倒しでやってしまいます。

締切までにどこかで残業しなくては終わらないような場合には、自分が残業しても良いなと思う日に集中して進めてしまっておきます。

そうすることで、残業したくない日はそもそもすべき仕事をなるべく減らしておくようにしていました。

ただ、もっと重要なのは、周囲への周知と関係作りだと思います。

私がやっていたのは主に下記のようなことを心がけていました。

  • どうしても残業できない日は朝のうちにその旨を関係のある人たちに伝えておく
    (立て込んでいる時期などは前日までに伝えて、朝もう一度伝える)
  • 早く帰りたい日は、就業の3時間ほど前までには上司に今日他にすべきことがあるか確認する
  • 残業が出来る日で、他の人の仕事が溜まっていそうな場合は確認して引き受ける

1つ目はそのまま、「今日は早く帰りたい」ということを、皆にアピールしておきます。

それだけを伝えるのは気まずいなと感じるときは、「それなので、なにか依頼などある場合は早めにお願いします」と言い添えていました。

忙しい時期で、どうしてもマストで早く帰らなければならない場合などは、数日前から伝えておいて、仕事を調整できるようにし、さらに朝に念押しする形をとっていました。

2つ目は、終業時間間際に依頼が入るのを防ぐため、自ら切り込んでいくパターンです。

早く帰りたい日で、急いで手持ちの仕事を終わらせて、順調!と思っていると、いきなり急ぎの仕事が入る場合があったので、どうせやらなくてはならないなら、まだ時間に余裕があるうちに聞いて進めようと思ってやっていました。

しかし、たまに藪蛇になる諸刃の剣でもありました(笑)

3つ目は持ちつ持たれつな関係作りのために、残業しても良い日で、他の人が困っているときはなるべくフォローに入るようにしていました。

別にやっていなくても問題はないのですが、帰りたい日は他の人が残業バリバリしてても帰るので、そのことを自分も他人も許しやすくなるかなと思ってやっていました。

 

4.キャラクター作り

最後は、ホワイト企業ならあんまり気にしなくて良いと思いますが、あいつ早く帰るやつだよな、早く帰ってもあいつならいいや、と思われるキャラクター作りです。

私は下記のようなことを気をつけていました。

  • なるべくいつも笑顔で感じよく
  • 仕事上で主張すべきことははっきりと主張する
  • 仕事自体は迅速丁寧に(ミスをなるべく減らしつつ、ミスした場合はすぐに報告・謝罪・リカバリー)
  • 早く帰ることは悪いことじゃないという態度を貫く

結局は、仕事は人間関係なので、周囲の人に良いイメージを持ってもらいつつ、仕事での信頼性をあげていくことで、罪悪感なく、周りとの関係も維持しつつ早く帰りやすくなるかなと思います。

 

 

以上、早く帰るために私がやっていたこと4選でした。

職場によって職場環境も業務内容も人間関係も様々なので一概には言えませんが、体育会系の風潮のある会社などでは使えることもあるかもしれないと思い今回書いてみました。

自分はこういう風にしている、などあれば教えていただけると嬉しいです!

ニートしたときに参考にさせて頂きます!

あ、でも本当は、早く帰ることばかり考えなくて良い職に就く方法を考えるべきなのかな・・・。

ブログ100記事目!感想などをつらつら語りたいので語ります!

「アラサーニートの雑記帖」は、この記事で100記事目の投稿となります!

最初の記事を投稿したのが5月31日だったので、3ヶ月半ほどで100記事到達ということになりました。

今回はせっかくなので、この3ヶ月半のブログでの活動を振り返りつつ、感想やらなにやら、語っていこうと思います。

 

最初の記事を書くまで

私がブログを始めたのは、会社を辞めてから約2ヶ月後のことでした。

ブログに関しては、自分のことを表現したり発信する場所があった方が良いと、ずっと恋人から勧められていたのですが、仕事が忙しいとか、私なんかが書いてもという言い訳をしながら、ずっと行動に移せずにいました。

しかし、仕事も辞めてしまって、恋人とも遠距離になり、実家に戻ってきた私は、空っぽな自分自身と向き合わざるを得なくなりました。

そこでやっと、とりあえずやってみようと思うことができたのです。

どうせ暇だし、インターネットという場所でなら、リアルでは人目を気にしすぎてしまう私も、自分の考えや言葉や内面や日々のことを残していけるような気がしました。

そしてもしかしたら、自分のこれからのリアルにも、影響を与えることができるようになるかもしれない。リアルと繋げたくないと言いながら、リアルへの利益を考えたりもしていました。

そんな私の最初の記事がこちらです。

zakkicho.hatenadiary.com

簡単な自己紹介とブログを始めた経緯や興味分野などを書いていました。

構成やデザイン面でも、見出しの色を変えてみたり、破線でくぎってみたり、試行錯誤の跡が見て取れます(笑)

読み返すとなんだか恥ずかしいですし、最初の記事なんてほとんど誰にも見られていないと思うのですが、それでもこの記事を思い切って表に出したことで、ブログという世界を知ることができたので、私にとって大事な記事です。

 

アクセス数や読者数の増加と心境の変化

そんなこんなで始まったこのブログですが、当然、最初のころは全くと言って良いほどアクセスがありませんでした。

なんのノウハウも持たずに始めたので、しばらくは日に5人も来てくだされば御の字といった感じで、はやくも心折れそうになったりしていました。

しかし、ブロググループに登録したり、他の方のブログを読みに行くようになり、ゆっくりとアクセス数や読者数、スターの数も増えていきました。

初めてアクセス数が日に20を超えたときは、私の書いたものをそんなに見てもらえるようになったのかと本当に感動しました。

初めて読者がついた時は、本当に嬉しくて、何度も通知を見直しました。

見ず知らずの人が、私のブログを、文章を、また読んでも良いと言ってくれている。

久しぶりに全くの他人に自分を評価してもらえたように感じました。

それから読者が10人なり、20人になり、50人なり、100人になり、現在164人なりと、自分でも信じられないほどに増えました。本当にありがとうございます。

アクセス数も今では平均して1日に200ほどまで伸びました。

検索からやってきて読んでくださる方もいます。

徐々に成長していくブログを見ながら、しかし、最初の頃のように単純に嬉しいばかりではなくなってきてしまっていることも感じます。

書き続けなくては、質をある程度保たなくては、面白い題材を探さなければ、このブログをなにかに繋げなくては。

もともと「アラサーニート」から「何者か」になりたくて、その道の一端として始めたブログです。

とりあえず100記事、ここまでなんとか続けてこられました。

しかし、私はまだなにも見つけられた気がしなくて、「ブログをしているニート」になっただけだなと感じることも多いです。

私はブログでなにをしたいのか、なにをしているのか、200記事書いた頃にはわかるようになってきているといいなと思います。というか、わかるようになる!と思って書いていこうと思います。

 

どんな記事を書いてきたか、これからどんな記事を書いていくか

ちょっと感情的な面ばかりを書きすぎたので、ちょっと客観的に見たりもしてみようかなと思います。

これまでの100記事、どんなことを書いてきたのかなぁとタグを参考に振り返って見ました。

タグ付けされた記事数の上位は下記のようなものでした。

一番使っていたのが「日常」タグ、次が「レビュー」タグでした。

「日常」タグは自分でもなんかちょっと分類が曖昧な感じがします(笑)

「レビュー」は現在28個の記事を書いているようですが、その中でも映画がダントツの1位。次に小説。あとは漫画やドラマ、日用品などもありました。

100記事中の28記事なので、ざっと3割と考えると結構書いていますね。

常にネタに困っているので、見たもの読んだもの、体験したものはとにかくどんどん書いているため、レビュー記事はこれからも高頻度で書くと思います(笑)

今まで書いていないテーマとしては、恋愛とかも書きたいなぁとは思っているのですが、今一歩踏み出せていない感じです。

あとはもっと色々と経験して、ちゃんと進捗というか、足跡を残していくような記事を書けるようになると良いなと思っています。

 

 

最初はもっと色々数値的なものとかを出して書いていこうかなと思っていたのですが、毎月ブログの振り返りで書いていますし、書くうちになんだか感情的な部分が結構出てきたので、そこを素直に書いてみることにしました。

100というとすごく大きな数字で、1から始めてここまで来たのだなと思うと、個人的にとても感慨深いものがあります。

3ヶ月半、ブログに書いたこと書いていないこと、当たり前に色々とありましたが、このブログが私にとって、あって当たり前の存在になったことは、大きな出来事のひとつだと感じています。

今までこのブログに立ち寄って、関わってくださった皆さん、本当にありがとうございます。

いつまで続くかわかりませんが、まだしばらくは書き続けるつもりでいますので、よろしければ引き続き、気が向いたときにでも読んでいって頂けると嬉しいです。

100記事記念でなにかしたいと思いつつ、なにもできなかったアラサーニートでした。

【映画】『三度目の殺人』を見ました

先週に引き続き、また公開中の映画を見に行ってきました。

今回は久々の邦画。そして私の好きそうな静かにストーリーを見せるタイプの作品だったので、期待していきました。

 

三度目の殺人(2017年 / 日本)

国内外から高い評価を受ける是枝裕和監督が、2013年公開の『そして父になる』で主演を果たした福山雅治と二度目のタッグを組んだ話題作。

一件の殺人事件を巡り、犯行を自供した被告人とその弁護人の間に横たわる真実を探る法廷サスペンス。

gaga.ne.jp

 

あらすじ

クビになった工場の社長を殺害し、その犯行を自供している容疑者・三隅は、殺人の前科があり、強盗殺人の上遺体に火を放っていることからも死刑が確実視されている。

弁護士である重盛は、なんとか無期懲役に持ち込むために彼を弁護することに。

裁判に勝つことだけにこだわり、いつも通り真実には目もくれず、戦術のみを考えて三隅に対峙する重盛だったが、証言が二転三転する三隅に苦戦を強いられる。

弁護に有利なストーリーを組み立てるために三隅の殺人の動機に迫ろうとする重森は、しかし、いつの間にか真実を追い求めていた。

 

感想

久々にとても疲れる作品で、見終わった後、しばらく頭痛がしていました。

それだけ見るのにエネルギーがいる作品でした。

邦画らしく、淡々と描かれているのですが、とにかく見ている間中様々なことを考えさせられて、見終わってからもまた考えさせられます。

一件の殺人事件を巡って、死刑が確実視されている容疑者を無期懲役にするために裁判を争う。

その出来事だけが描かれているのですが、いくつもの謎やテーマが重ねられ、視聴者は幾度も形を変えるその物語の真実をなんとか探り当てようとして深みにはまっていきます。

全体的に役者さんの演技も素晴らしく、作品世界に入り込んで集中して見ることができました。

決して楽しい映画ではありませんし、すっきりすることもない、というかモヤモヤばかりが後を引く映画ですが、久々に良い作品を見たなと思います。

 

※ここから先は物語のネタバレを含みます。未鑑賞の方はご注意ください。

 

複雑なキャラクターの生きている演技

この作品はどの役も複雑で難しかったと思うのですが、皆さん過剰になることもなく、淡々と、でも沈み込むような作品の雰囲気をしっかりと作り上げてくださっていました。

容疑者・三隅を演じた役所広司さんはもうさすがとしか言い様のない演技で、とらえどころのない三隅という男を、不気味な現実感で浮かび上がらせていました。

自己犠牲を厭わない善人なのか、命を弄ぶサイコパスな悪人なのか、真実と言える答えを彼自身が持っているのか、語る言葉のなにが真実でなにが嘘なのか。

映画を見終わって、自分なりにこうだろうなという結論が出てはいるのですが、それでもやっぱり違うのかもと思わせられる、素晴らしい演技でした。

また、個人的にシリアス系だとちょっと浮く気がすると思っていた福山雅治さんですが、なんだか思いのほか演技が自然になっていて、冷静で感情を切り捨てるような前半のキャラクターから、三隅に翻弄され徐々に崩れ、感情的になっていく様を見事に演じきっていました。(上から目線ですみません。)

以前なにかで見たときは、ちょっとかっこつけ過ぎているというか、福山雅治福山雅治だな、と思ったのですが、今作では全くそんなことはなく、作品世界をきっちりと守っておられました。

あと広瀬すずさんは出演作を見るのが初めてだったのですが、今まで偏見でちょっと苦手意識持ってました。ごめんなさい。

力強くて、まっすぐで、良い女優さんだなと思いました。

事情を抱えながらひとり現実と向き合おうとする被害者の娘・咲江を、抑えた表現でしっかりと演じられていました。

 

見るものを翻弄する重層的な構造とプリズムのような変化

当初、弁護士の重盛は、弁護において真実や依頼人を知ることなど必要ない、と切り捨てており、大事なのは依頼人のためになる戦術や選択であると信じています。

また、裁判官や検事、弁護士と司法に関わる人たちが、みな普通のサラリーマンと同じようにスケジュールや成果によって縛られている様も描かれています。

そういった裁判や司法といったものへの問題提起が、ひとつの大きなテーマとして描かれています。

咲江が判決後に重盛に放った「ここでは誰も真実を話さない」という台詞が重たいです。

また、もうひとつの大きなテーマは死刑制度に関して。

死んだほうが良い人間がいるのか、それを誰が決めるのか。

三隅が最後に受けた判決は、三隅が主張を変えずに、咲江が証言をしていれば恐らく変わっていただろうと思います。

つまり、変わる可能性のある状態で、三隅は判決を受けた。

冤罪とまでは言いませんが、情状酌量の余地が本当はあるのに、そのことは裁判官たちに知られない(知らされない)ままに、判決は下されるのです。

当たり前ですが、真実は本人にしかわからない。同じ物事の当事者であっても、複数人いれば、それぞれ別の真実があるはずです。

裁判で争われる材料は、真実にできる限り近づけようと努力された結果の「真実である可能性が高いもの」。真実との間にある深い溝は、誰も超えることができません。

その真っ暗な溝を、覗き込むように促される作品です。

他にも、被害者の娘・咲江とその母の関係、重盛と娘の関係、三隅と娘の関係、三隅と咲江の関係など、親子関係という視点も織り込まれており、ここがさらにこの作品の迷路を複雑にしています。

このように、折りたたまれたいくつもの要素と、それらが何度も何度も視点を変える度に違う姿をみせてくる、その眩暈がするような視界の変化に辛くなるのですが、辛いままに思考を巡らせることこそが、この作品を見ることの意味なのだと思います。

 

 

久々に楽しむのではなく、苦しむための映画を見ました。

恐らく見ると結構疲れると思いますが、考えることが好きな方にはぜひ見て頂きたい作品です。

読んだ小説の内容をすぐ忘れてしまう私の読書体験とその周辺

読書が好きと公言して憚らない私ですが、時々それで困ることがあります。

それは、好きな本やオススメの本を尋ねられること。

実は私、読んだ本の内容を結構すぐに忘れてしまうんです。

なんとなくの雰囲気は頭に残っているのですが、話の筋は結構さっぱり忘れていることが多く、好きだなと思った本でも、文庫の裏表紙に載っているあらすじ以上のことを思い出せないことが少なくありません。

それなので、好きな本やオススメの本のタイトルは答えられても、こんな本だよ、という説明がなかなかままならないのです。

今回は、そんな私の読書体験とその周辺の色々について書いてみようと思います。

 

読んでいる間はその世界に没頭している

小説の内容を即効で忘れてしまう私ですが、読んでいる最中はとても楽しんでいます。

その物語の世界の雰囲気や感情にすっかり馴染み、自分自身がその世界の中にいるように感じています。

私が小説を読んでいるときに読み取っているのは、その小説の筋書きよりも、そこに流れる空気や、登場人物たちの感情なのかなと思います。

もちろん、ストーリー自体の展開でつまらないとか面白いとか判断している部分は大いにあると思います。

しかし、最終的に私の中に残っているのは、そういったストーリー展開自体ではなく、その作品の持っていた空気や世界観だけになっているのです。

 

好きな小説について語れない

このブログで好きな映画や好きな漫画についてはたまに紹介記事を書いているのですが、これだけ小説が好きと言いながら、実は好きな小説について書いた記事は今までひとつもありません。

小説レビューとして書いている記事は、すべてそのときに読み終わったものばかりです。

なぜなら、「好きな小説」のストーリーなどを覚えておらず、語るには再度読み直さなくてはならないから。

具体的に好きな小説をあげるなら、姫野カオルコさんの『ツ、イ、ラ、ク』や、鷺沢萠さんの『ウェルカム・ホーム!』、辻村深月さんの『スロウハイツの神様』などがあるのですが、どれも詳細なストーリーは浮かんできません。

タイトルと一緒に浮かんでくるのは、その作品の雰囲気や読後感などです。

そしてそれも、私の心の中ではイメージとしてあるのですが、それを他人に伝える言葉にするには、少しピースが足りない感じがします。

そして私の場合、その語るのに足りないピースは、その作品を読んだ直後にしか手にできないのです。

読んだ直後であればかろうじて、その作品を自分の言葉で語っても作品に失礼じゃないだけの材料を持っていると感じます。

それなので、大好きな作品たちで、皆さんにもぜひオススメしたいのですが、このブログに登場するのは、私がそのうちまた再読してからになります。

もしも万が一、私の紹介文読んでみたいぜ、という優しい方がいれば、気長に待っていてくださると嬉しいです。

(お前の紹介とかどうでもいいけど作品が気になるという方は早速読んでみてください。オススメです。)

ツ、イ、ラ、ク (角川文庫)

ウェルカム・ホーム! (新潮文庫)

スロウハイツの神様(上) (講談社文庫)スロウハイツの神様(下) (講談社文庫)

 

好きな作家はたくさんいて、自分の中でブームがあったりする

好きな作家さんは上述した三名の他に、小川洋子さん、恩田陸さん、湊かなえさん、真梨幸子さん、山田詠美さん、重松清さん、星新一さん、本多孝好さん・・・。他にもたっくさんいます。

最近は全く読んでいませんが、昔は赤川次郎さんや有栖川有栖さんなどのミステリも好きで、学校の図書館で探しては片っ端から読んでいました。

一時期は『キノの旅』シリーズにはまって時雨沢恵一さんの作品ばかり読んでいましたし、海外作家のアレックス・シアラーさんの本を読み漁っていた時期もあります。

こうして思い返してみると、高校生くらいまでは結構同じ作家さんの本をまとめて読む傾向が強かったなと感じます。

しかし、大学生以降になってからは逆に色々な方の作品をまんべんなく手に取るようになった気がします。

といっても、たまにブームはやってきて、一番最近(それでももう何ヶ月か前ですが)だと小池真理子さんの短編集にはまって、4冊ほど一気に読みました。

私は熱狂的に誰かのファンという感じではなくて、いいなと思う作家さんがじわじわと増えていくタイプなので、これからもどんどん好きな作家さんは増えていって、たまにブームが来たり、忘れたり思い出したりしながら、私の中に堆積していくんだろうなと思います。

 

小説は紙の本で、本選びは書店で

電子書籍が徐々に浸透してきているのを感じる昨今ですが、私は小説に関しては完全に紙の本派です。

なんというか、一枚ずつページをめくって物語の世界を進んでいく、あの本を読んでいるという感じが好きです。

邪魔に思う方も多いようですが、本棚に読んだ本がどんどん増えていくのも好き。

電池の減りを気にすることもないですし、ぱっと見た時に、電子端末を扱っている人より本を読んでいる人の方が素敵、という完全に個人的な趣味も影響しています。

本を買うときもネットではなく書店で買います。

書店は私の大好きな場所のひとつです。

色々と並べられた本たちを見ていると、読みたいものがたくさん見つかってワクワクします。

今まで知らなかった作品や作家さんとの出会いに胸が高鳴ります。

書店ごとに本の並べ方のポイントが違ったりするのも面白いです。

個人的には出版社別よりも、作者別に並べてあるところが好きです。

書店に行くと、私が一生かかっても絶対に読みつくせないほどの本がこの世にあることが実感できて、それが嬉しくもあり悲しくもあります。

これから私の人生が終わるまでに、どれくらいの物語と出会うことができるのか楽しみです。

 

 

皆さんもお気付きの通り(?)、最近小説レビュー記事が少ない=本を読めてないのですが読書は好きだよ、ということで、読書そのものについて書いてみました。

すぐに内容を忘れちゃうので、ブログを書くようになって、自分の備忘録としても良かったなと思っています。

物語の空気だけを吸い込むように小説を楽しんでいる私ですが、皆さんはいかがですか?

そういえば、9月。台風一過。もう読書の秋ですね。

次はなにを読もうかな。

【今週のお題】大人になっても孫は孫だけど、大人になったらやっぱり変わる

風が強くなってきました。台風が近づいてきていますね。

シャワーも浴びて、雨戸も閉めて、モバイルバッテリーも充電して、一応備えはしているつもりですが、なんだか今回は結構がっつり九州を直撃しそうな雰囲気でちょっとびびってます。

皆さんも気をつけてくださいね。

さて、話は唐突に変わって、前回のお題が2週間の設定になっていたので、今回は久々の「今週のお題」での投稿です。

 

今週のお題「私のおじいちゃん、おばあちゃん」

今週は敬老の日にちなんで、おじいちゃん・おばあちゃんについて。

実は以前に祖父母について書いた記事がいくつかあったので、もし良ければこちらもぜひ読んでみてください。

リンク上の記事は母方の祖母に関して、下の記事は父方の祖父母に関して触れています。

長生きすること、生きていくこと - アラサーニートの雑記帖

父の家族のこと - アラサーニートの雑記帖

今回は、母方の祖母、父方の祖父母、それぞれの思い出に触れながら、その関係を振り返っていきたいなと思います。

 

母方の祖母

私の母方の祖父は私が1歳くらいのときに、祖母は母親が高校生のときに亡くなってしまっており、私は二人のことはお仏壇の写真でしか見たことがありません。

しかし、私には今も、母方の祖母がいます。

現在の祖母は母親の実の母親が亡くなった後に後妻として祖父に嫁ぎました。

母の実母の末の妹で、母にとっては叔母さんにあたります。

身体が弱く、入院続きだった母の実母に代わって、自身が高校生くらいの時から、母の世話を手伝ってきていたそうです。

そんな祖母は、夫である祖父が亡くなってからも母と一緒に住み、単身赴任で不在の私の父の代わりを務めるように、母と一緒に私たち姉弟の世話をしてくれていました。

得意料理は天ぷらで、なぜか祖母が揚げるとすごくからっと揚がっていました。

私と弟は祖母の揚げた大葉の天ぷらが大好きで、充分たくさん用意されているにも関わらず、それでも取り合うように次々に食べていました。

さらに、祖父がやっていた会社も引き継ぎ、そこでバリバリと働いていました。

しかし数年前、祖母は脳梗塞にかかり、そこからめっきり年を取ってしまいました。

今では日々のほとんどをテレビの前で過ごし、病気のせいか怒りっぽくなった祖母は、祖母の身体を案じる母とよく喧嘩をしています。

喧嘩は苦手だし、以前と違う様子で接し方もわからなくなって、話しかけることも少なくなってしまってごめんなさい。

敬老の日を前に、母と一緒に選んだ洋服をとても嬉しそうに着てくれて、嬉しかったです。

頑張り屋で意地っ張りで、テレビと食事とおしゃれが好きなおばあちゃん。

これからはもう少し話すようにするから、もっと長生きしてね。

昔みたいに、は難しいかもしれないけど、また新しく、良い関係を繋いでいきたいな。

 

父方の祖父母

父方の祖父母は二人ともまだ健在で、車で3時間くらいの距離に住んでいます。

たまに会えば甘やかして、遊びに連れて行ってくれたり、誕生日だお年玉だと言っては、おもちゃやお金をくれていました。

子供心に父方の祖父母にはなんだか他所の人のような雰囲気を感じてしまって、今までずっと敬語のままで、他人行儀になってしまっていたなと思います。

一緒に住んでいる母方の祖母と距離感が異なるのは当然ですが、それにしてももう少し、子供らしい遠慮のなさを発揮して、孫として距離を詰めてあげられると良かったのかもしれないと今になって思っています。

それでも祖父母の家に行くのは楽しみにしていました。

能面がいくつも飾ってあって、子供のころはそれがとても怖くて、能面から離れた位置の布団を弟と取り合ったりしてたなぁ。

祖母は料理上手で、行くと必ずたくさんの手料理を準備してくれているのですが、子供の頃は食べても食べてもなくならない、昔ながらの手料理を苦手に思っていたりもしました。

今食べてみると、祖母の料理はとてもおいしくて、しかもとっても手間をかけ、丁寧に作られていることがわかります。

そんな料理を苦手だなんて、あの頃の私なんて贅沢だったんだ。

祖父は文章を綴ることが好きで、自費出版で本を出したり、俳句を趣味にして今でも日に何句も作っているようですが、昔はそんな祖父の文章に全く興味も示しませんでした。

最近になって祖父の書いたものを読んでみると、読みやすく、情緒も感じられるような文章で、素直にすごいなと感じました。

子供の頃わからなかったことやわかろうとしなかったことを、大人になった今、やっとわかるようになって、やっと少し祖父母との距離が縮まったように思います。

もうこれから敬語でなくなることはないと思うけど、二人のことを知っていく準備がやっと整ったので、少しずつでも歩み寄っていけるといいなと思っています。

だからおじいちゃん、おばあちゃん、これからも元気で長生きしてください。

 

 

他所の家族のことってわからないので、私と祖父母との距離感が一般的にどうなのかがよくわからないのですが、私にとって母方の祖母は家族で、父方の祖父母は親戚といったイメージでずっと過ごしてきました。

しかし、ここ最近、母方の祖母は病気をしてからなんとなく遠く、父方の祖父母は以前よりちょっとだけ近く(それでも恐らく結構な距離感なのですが)感じるようになりました。

私自身が変わって、祖父母もそれぞれ変わっていって、近いようで遠い、遠いようで近いその距離も、長い年月で変わるのだなと実感しています。

でもなにより、祖父母もそれぞれにかなり年を取ったなと感じることが増えたので、とにかくできるだけ元気に長生きしてもらって、私ももっと、ちょっと努力してでも仲良くしていきたいなと思っています。