アラサーニートの雑記帖

アラサーニートが感じたことや日々の出来事などを綴る雑記ブログです。

ため息をのみこんで幸せを追う

今日は久々に晴れて、気持ちが少し前向きになっている気がします。

マッキー(槇原敬之)の『うん』という曲に「梅雨の晴れ間は少しだけ 次の夏の予告をするよう」という歌詞があるのですが、まさにそんな天気です。今日なんかは、少しだけ、というかかなり盛大に予告している感じがしますが(笑)

(ちなみに私はマッキーが大好きで、この『うん』という曲も名曲ですので、よければぜひ聴いてみてください!そして今度マッキーの曲を紹介する記事を書こうと今決めました!)

 

ただ、せっかく晴れ晴れとした気持ちですごしていても、周りの人が沈んでいたり、イライラしたりしているのが伝わってくると、自分まで暗くなってしまうことってありませんか?

私は割と周りのことが気になってしまうタイプで、周りで誰かが暗い雰囲気を放ち始めると、徐々に自分も取り込まれていってしまいます。

そういう時は、可能であれば一旦暗さの中心から離れるようにしています。離れられなければ、出来る限る気にしないように、自分の作業に没頭したり、楽しいことや好きな曲でも頭の中で再生するようにしています。

 

負の感情をアピールしてくる人たち

「ため息をつくと幸せが逃げる」なんて言葉がありますが、まさにそうだな、と私は思っています。

身体は心に影響されますが、心も身体に影響されるので、負の自分を演出していると、心もより負の感情に支配されやすくなると思いますし、さらに、周りの人に負の気配を発してしまえば、周りの人からも嫌がられてしまって、そういう意味でも幸せが逃げるんじゃないかなと思うんです。

ただ、ため息にも2種類あると思っていて、作業が終わった後などに「ふぅー」とか「ほぉー」みたいな感じで達成感や疲労感からくるものと、面倒ごとなときや不満なときなどに「はぁー」というように嫌な気分を吐き出しているようなもの。

前者は生理現象の一種ですし気にならないのですが、後者ははっきり言ってかなり不快です。

どうしても気になってしまいますし、アピールだよね?アピールするためにしてるよね?と思ってしまうのです。

他にも、暗い声でずっと話したり、すごく冷たい対応をしたり、そういう、私は今疲れている、落ち込んでいる、イライラしてるという「負のアピール」をしてくる人たちって結構います。

もちろん、人間ですから疲れたり、落ち込んだり、イライラしたり、そういうことは当たり前ですし、それがつい態度に出てしまうことだってもちろんあると思います。私だってあります。

でも、それを見せるべきでない人(直接関係のない人)に対して態度に出すことになんのためらいもない人や、むしろアピールしてくるような人たちは、正直言って嫌いです。

嫌いですし、理解ができないのです。

 

負の感情を表に出して、なにかいいことあるのでしょうか?

私は基本的に、疲れや落ち込みや苛立ちなどを表に出さないようにしようと心がけています。学校や会社、あとはレストランなどの公共施設、大勢の人がいる場所では、特に気を付けるようにしています。

なぜなら、自分がされたら嫌だからです。

自分の周りでもしそういう状態の人が出てきてしまったとき、自分が動揺したり、暗い気持ちになったり、白けた気持ちになったりすることがわかるからです。

負の感情と関わるのは、自分のものであれ、他人のものであれエネルギーがいります。

それを関係もないのに共有させられるのは嫌ですし、自分が他人にそれを押し付けるのも嫌なのです。

そして、基本的に負の感情をさらけ出している人を見て良い気持ちになる人は少ないと思いますし、私の場合はその時点でその人への印象が悪くなってしまいます。

周りを不快にするだけではなく、自分の評価まで下げると思うと、負の感情なんかぐっと堪えて、多少きつくてもできるだけ穏やかに過ごす方が賢いと思うのです。

もちろん、怒るべきときはありますし、落ち込んだ時は吐き出すことも必要だとは思います。でも、それは「そうすべき人」に対してそうすべきで、際限なく撒き散らすような類のものではないのかなと思います。

 

SNSでの抽象的な負のアピール

TwitterFacebook、昔ならmixiなど、SNS上でも負の感情は時にアピールされます。

特にやっかいだなと感じるのが、「どうしてこんなことになったんだろ・・・」「本当に辛い」というような投稿をしておきながら、他の人が「どうしたの?」と優しくリプライすると「ここではちょっと言えない」というような返答をしてくるパターン。

なんというか、まあ、慰めて欲しい、構ってほしい、という気持ちは伝わってきます。

そういう気持ちになることがあるのもわかる。

わかるけど、家族か親友か恋人とやってくれ、もしくは日記にでも書いてくれって思ってしまうんです。

不特定多数、もしくは知り合いだけだとしても親密度も様々なSNSの中に「負の感情」だけをただ投稿する行為って、なんの意味があるんでしょうか?

せめて経緯でも書いてくれれば言葉のかけようもあるのですが、「ちょっと・・・」等と言われてしまえば、「そっか、がんばって」くらいしか言い様がないですし、そもそも「どうしたの?」とわざわざ尋ねてくれたところに、「答えられない」と言われれば、それ自体が不愉快なのではないかと思うのです。

完全匿名でやっている場合は、そういうストレス発散の仕方もあるのかなと思ったりもするのですが、リアルな人間関係と繋がっている状態でそれをやるのは、個人的には割に合わないなぁと思うのです。

自分への評価も下がる可能性がありますし、仮に慰めてもらえたとして当たり障りのない言葉しかもらえないでしょうし(事情がわからないので)、ただ「自分は辛いんだ」という投稿を見続けることになるなら、投稿自体非表示にしてしまう人もいるかもしれないですよね。そうすると、他の普通の投稿も見てもらえなくなる。

事情は話せないけど落ち込んでるんだ、察して慰めて。なんてことを公にやってしまうのは、多分損です。

 

と、偉そうなことを言いながら、私も一時期、負の感情をTwitterに書いてしまっていたことがありました。

たまに優しいリプライをもらえることもあったのですが、私のために気を遣わせてしまったなと思うと、なんだか申し訳なく、虚しくなってしまいました。

リプライをくれたのは当時仲良くしてくれていた子で、初めからこの子や他の友達に直接話すべきだったんだと感じました。

 

負の感情はどうすればいいの?

じゃあ負の感情はどうすればいいんでしょうか?誰かに優しくされたいときは?

私の場合はこんな感じです。

  • 基本的には関係のない人にはぶつけない、表に出さない
  • 親しい人にだけ相談するなり、愚痴を聞いてもらう
  • 楽しいことをしたり、寝たりして忘れる
  • 誰にも言えない時は日記に書きなぐる
  • 誰にも言えないけどどうしても誰かに聞いて欲しいときは匿名でどこかに書く

自分の中で消化できれば良いですが、毎日色々ありますし、抱え込みすぎるのはよくないです。

できれば心を開ける相手が一人でもいれば、その人に頼ると良いと思います。

でも、どうしても誰にも相談できないときは、日記などに書きなぐって、とりあえず「表に出す」ことで解消できたりします。

誰にも相談できないけど、誰かに聞いて欲しいときは、「匿名で」誰かに聞いてもらえると良さそうです。

幸い今はインターネットが世界中に繋がって、色々な人とやり取りできます。

素性を隠して自分の考えや気持ちを吐き出せる場所もたくさんある。

このブログもそうですね。

私が思うに、必要以上に我慢する必要はないですが、「適切な場所で」「適切な相手に」吐き出すのが良いんじゃないでしょうか。

 

 

今回は思っていたことをつらつらと書いたので長くなってしまいました。

負の感情は自分にも他人にも最小限で、楽しさや幸せを最大限に感じられるように生きていきたいなぁ、と思う梅雨の晴れ間のひとときでした。