嫌いなものに捉われてしまう人たち
皆さんは特に嫌いなもの・こと・人ってありますか?
苦手ではなくて、嫌いなもの。
苦手なものは、虫にホラーに大きな音。他にも電話や片付けも苦手です。
尋ねられれば、簡単に口にできます。
でも、嫌いなものといわれると、なんだか言葉にするのを躊躇してしまうのは私だけでしょうか。
「嫌い」という感情を持っていること自体に、ネガティブな印象があるのです。
ネガティブイメージを恐れずに言えば、私は、どんな場面でも強い口調で話す人、人の話を聞こうとしない人、なにかを持ち上げるために他を落とそうとする人が嫌いです。
(私自身が当てはまらないかと言われれば、同属嫌悪なところも多分にあるかもしれません。)
他にも細かくあげれば色々あると思います。
今回はそんな「嫌い」なものとの関わり方について考えてみました。
嫌いなものとどう関わるか
生きていれば、あーなんかこれ(この人)嫌いかも、と思ってしまうことがあります。
妙にイラっとしてしまったり。
そんな時私のとる対処法は1つ。
なるべく関わらない。
どう関わるか、という見出しにしておきながら、関わらないというのもなんだか矛盾を感じなくもないですが、嫌いなものと関わっている間、私自身良い気持ちはしませんし、それが態度に出てしまえば、相手や周囲の人の気分を害してしまう可能性があります。
そう考えると、嫌いなことには関わらないのが一番かなと思うのです。
なにより、嫌いなものに時間や感情を使うのがもったいない気がしてしまいます。
しかし、世の中には嫌いなものに執着する人が意外と多いのかもとも思います。
嫌いなものに執着する人たち
このことに関して私が考え始めたのは、大学生になって、ネットサーフィンをするようになってからでした。
ネットで色々なものを調べていると、ほとんどどんな人や物事に関しても、いわゆる「アンチ」と呼ばれる人たちが存在していることに気付きます。
彼らは、対象の行動や意見に関係なく、対象のことがもうとにかく嫌いで、悪いことをしても良いことをしても普通のことをしても、とにかく嫌いという意外の結論に行き着きません。
私が面白いと感じたのは、ある対象のファンよりもアンチのほうが数倍熱心にその対象を追いかけているように見えることでした。
アンチはツンデレ?
アンチたちは、対象を叩くために叩くための材料をどこかから見つけてきます。
世間的にも良くないとされるようなことである場合もあるのですが、それそんなに悪いことかな?と思うようなことである場合も多いです。
また、芸能人などのちょっとした失敗や日常生活の端々を持ち出して批判しているのを見ると、そもそもそれはアンチの方たちには全く関係ないのでは・・・と思ってしまいます。
例えばある芸能人を叩くためにブログを読み、Youtuberを叩くためにわざわざ動画を見る。
嫌いな人に積極的に関わっていくその姿勢は、私にとって謎でしかありません。
嫌いな人のブログや動画に目を通している時間をもっと自分の好きなものに使うと良いのに。嫌いな人を目にして嫌な気持ちを募らせるより、その分好きなものを見て和むと良いのに。そんな風に思います。
そんなに熱心に色々とチェックしているなんて、実はアンチの人たちはただのツンデレなのかな、と思ったりもします。
しかし、真面目な話をすると、嫌いだけど関わらずにいられないのであれば、それはちょっと切ないなぁと感じます。
その根底にあるのは恐らく嫉妬や苛立ちだろうと思うのですが、その感情を対象に投げつけることでしか解消できず、投げつけても解消しきれなかったものを解消しようとまた対象を見つめ続ける。
なんだか報われない片思いを見ているような気分になります。
「嫌い」や不満を生み出し、拡散させる人たち
ネット上だけでなく、現実でも嫌いなものと積極的に関わる人たちはいます。
というより、嫌いなものを生み出していく人たち、でしょうか。
私の身近では母がそうです。
テレビを見ればこの人は嫌いだと言い、なにかをする度にちょっとした不満をもらしたり、文句を言ったり、母の周りには嫌いなものばかりが積みあがっていきます。
そんなに嫌なものばかりが目に付くなんて、生き辛くないのだろうかと時々心配になります。
そして、そういう嫌いなものや嫌なことを口に出してしまうことで、余計に嫌な気持ちが増幅しているのではないかという気がしてなりません。
さらに、ネガティブな要素を持つ発言は、周囲にもネガティブを拡散させます。
ネガティブを食らった人はネガティブになりやすいので、ネガティブスパイラルです。
ネガティブスパイラルの中心に位置する母は、でも意外と元気そうで、逆にネガティブをどんどん口に出すことで、母自身はすっきりしているのかもしれないなとも思います。
「嫌い」を避けるのではなく、敢えて捕まえて叩きつける
こうやって考えると、例にあげたアンチの方たちも母も、敢えてぶつかって、外に吐き出すことで、「嫌い」という感情の持つネガティブなパワーから逃れようとしているのかもとも思えてきました。
私は、それは嫌いなものに捉われてしまっているからだと思っていたけれど、むしろ嫌いなものを捕まえに行っているのでしょうか。叩きつけて、外に散らしてしまうために。
私が好きなもので気分転換するのと、それは同じなのでしょうか。
そんなの健全じゃないよ!と思うのは、私のエゴなのでしょうか。
私自身が「嫌いなものと敢えて関わってそれを外に出すような人は嫌い」というだけなのかも。
この記事を書いていて、でも私もそういう自分が嫌いなものを単に否定したい気持ちでこんな記事書き始めちゃったんじゃないの?という気持ちも湧いてきて、ちょっと自分でもよくわからなくなってきてしまいました・・・。
人を呪わば穴二つ?ちょっと違うかな?
ちょっと何が言いたかったかグダグダになってしまって申し訳ないのですが、無理やりにまとめます!(笑)
それでも、私はこれからもなるべく嫌いなものは避けながら、好きなものや楽しいものをたくさん見つけて、嫌いなものより好きなものに、嫌なことより素敵なことに、たくさん心を動かしながら生きていきたいな、と思っています。
嫌いなものに時間や感情を使うのは、やっぱりもったいないと思うから。
今思うと、この「もったいない」と感じる気持ちを、もうちょっと掘り下げると、もう少しまとまったような気がします・・・。
とりあえず、色々な人や物事と関わるときに、「無理やりでも、小さなことでも良いのでなにか好きなところを見つける」は私の中では結構有効なライフハックなので、皆さんもよければぜひやってみてくださいね!(ライフハックって言ってみたかっただけ)