アラサーニートの雑記帖

アラサーニートが感じたことや日々の出来事などを綴る雑記ブログです。

【小説】小川 洋子『偶然の祝福』を読みました

今回は、小川洋子さんの小説レビュー記事です。

私にとっては初めての短編連作形式の作品のレビュー。

私、小説の形式の中では短編連作が取り分け好きなんですよ。

それぞれの物語と、その背景にある繋がり、その緩やかな流れがなんだか好きで。

大好きな小川洋子さんの大好きな短編連作なので、とても楽しんで読みました。

 

小川 洋子『偶然の祝福』(2000年)

博士の愛した数式』などで知られる小川洋子さんの作品。

小説家である「私」の静かな日々に降る小さな祝福を、小川さんらしい繊細な筆致で描いた短編連作小説。

偶然の祝福 (角川文庫)

偶然の祝福 (角川文庫)

 

昨日の記事でも紹介した通り、大好きな小川洋子さん。

どの作品にも小川さんにしか描けない小川ワールドが広がっていて、そしてその小川ワールドの静かで、物悲しくて、優しい空気感が心地良いんですよね。

本作もそんな小川ワールドの魅力が溢れる作品になっていました。

主人公は小説家をしている「私」です。

生まれて間もないの息子と犬のアポロと暮らしています。

そんな「私」がひっそりと抱え続けている孤独と、そこに寄り添うものたち。

その邂逅は奇跡のように夢のように儚いけれど、そのほんのりとした、しかし確かな温かみが、読者にもじんわりと伝わってくるような作品でした。

 

短編連作との相性の良さ

この作品は短編連作の形をとっており、7篇の短編から構成されています。

短編連作とはそれぞれの短編が一篇ずつ物語として完結しながらも、短編同士の間に繋がりがあり、全ての短編が1つの大きな物語や背景を共有しているような形態の作品です。

今回は「私」の経験した出来事や過ごした日々をそれぞれ短編として語りながら、背景に「私」という大きな物語を浮かび上がらせています。

各短編に描かれている「私」が体験した出来事は、それぞれが少しずつ現実からずれています。

そして、一つ一つの物語では、あくまでその出来事の周辺のことしか語られないため、最初の2、3篇目まではそれぞれ独立したお話が並んでいるように感じられます。

しかし、一遍ずつ読み進めていくうちに、だんだんと「私」の存在が浮かび上がってくるのです。

そうして見えてくる、「私」の置かれた環境や、過ごした人生、そして心の奥に抱えている孤独は、それぞれの物語により豊かな色彩を与えてくれます。

現実と想像、悲しみと優しさ、今と昔、あらゆる境界を曖昧にする小川さんの作品は、個々の物語の境目をぼやかしていくモザイクのような短編連作という形にとても似合っていると感じました。

 

境界が滲んでいく世界

前項でも少し書いたとおり、本作に含まれる物語はどれもが全て、少し現実からずれています。

実に正統な失踪者となった叔母、不思議な巡り合わせで手元に戻ってきた万年筆、息子の睾丸と「私」の背中から失われてしまった言葉。

こんな風に書くと、それはファンタジー的であったり、全く意味不明ですらあるのですが、この作品の中で、それらは確かに現実として、違和感なく存在していました。

「ああ、ここはそういう世界なのだ」ということを、一切の説明を挟まずに受け入れさせる力が、小川さんの文章にはあります。

普段であれば、そんなのあるわけないよ、と思う出会いも現象も病気も、この作品の中ではただ「ある」のです。

「私」の住んでいる世界は、私たちの生きている世界と地続きの、どこかちょっと遠いところなのだと思います。

パラレルワールドみたいだな、と感じたりもしました。

私の世界とはちょっと違うけれど、もしかしたらそれは私が生きていてもおかしくなかった世界なのではないかと。

私の生きる世界と「私」の生きる世界、その境界は淡く滲んでいて、だからこそ私は、もうひとつの世界で生きる「私」を、不思議なことばかりのはずのその世界を、こんなにも自然に感じるのだろうと思います。

 

失ったものと訪れたもの、書くことの苦しみと救い

作中で「私」は様々なものを失います。

叔母に弟、リコーダー、万年筆、そして言葉。

二度と戻らないものもあれば、戻ってくるものもあります。

逆に「私」の元に訪れるものもあります。

弟を失ったという女性、「私」の弟を名乗る男性、首にちょうちょの痣を持つおじいさん、そして息子。

訪れるものの多くは、少しの時間を共に過ごした後に、「私」のもとを去っていきます。訪れ、そして失われていく。

今の「私」に寄り添うのは、息子とアポロと、そして言葉だけです。

犬のアポロはもちろん、息子だってそのうちに失われていくでしょう。

そう考えると、「私」が本当に手にしているのは言葉だけなのでしょうか。

作中で「私」は何度も書くことに悩み、苦しんでいます。

しかし、彼女は書くことによってしか救われないなにかを抱えている。

これは作者である小川さん自身を反映しているのかなと感じました。

失うものも、訪れるものも、等しく言葉の中に眠っていくのだと思うと、そこにある一生はなんて静かで美しいんだろうと思います。

現実とも虚構ともつかない美しい物語と、そこに生きる人物たちのひそやかな体温と息遣い。それらをそっと覗き見る、素敵な時間でした。

 

 

本作中に「バックストローク」というタイトルの小説が作中作として出てくるのですが、語られているそのあらすじになんだか覚えがあるなと思って調べてみたところ、『まぶた』という短編集に入っている作品でした。

『まぶた』はこの『偶然の祝福』の1年後に出版された作品ですが、私は先に『まぶた』の方を読んでいたので、これは現実で読んだことがあるぞと思って、より現実と虚構の境が曖昧になった感じがありました。

実は小川さんの作品には、他にも作品間でリンクが色々とあるようなので、そういった繋がりを見つけていくのも楽しそうですね。

あの不可思議な小川ワールドが作品を超えて広がっていると思うとワクワクします。でも、なんとなくですが、小川ワールドの中でさえ、お互い少しずつずれて、パラレルワールドのように重なっているようなイメージがあります。

これからも、どんな世界を見せてくれるのか本当に楽しみです。

皆さんもぜひ覗いてみてくださいね。