アラサーニートの雑記帖

アラサーニートが感じたことや日々の出来事などを綴る雑記ブログです。

恐怖は想像力の中に

先日、はてなブログのトップにJAL機のエンジントラブルに関する記事が掲載されていました。

その記事がこちら。

flyfromrjgg.hatenablog.com

話題になっていたので、すでに読まれた方も多いかと思います。

飛行機に特化したブログで、執筆者の方も記事内で自らを「航空事故の専門家」と称されており、実際にかなり専門的な視点から、今回のエンジントラブルからの帰還に関して説明してくださっています。

双発機(エンジンを2機搭載している飛行機)で片方のエンジン(推力の半分!)を失っても、きちんと離陸し、旋回し、着陸出来た点、そしてそのように設計されている飛行機と、緊急時にも備えてパイロットの方もしっかりと訓練されている点など、「安全」の根拠となる事実が丁寧に述べられています。

素人にもわかりやすく、私も「なるほど、飛行機は徹底的に安全が考慮された乗り物なのだな」ととても感心しました。

しかし、もともと飛行機が苦手な私の中での飛行機への恐怖心は全く減る気配がありません。

そしてきっと、どんなに理論上の安全性が高まったとしても、ずっと拭えないのではないかと感じました。

そうしたら、「恐怖」の出所はどこなのか。

前置きがかなり長くなってしまいましたが、今回はそんな「恐怖」に関して考えてみようと思います。

 

恐怖はイメージの中にある

前述の飛行機の例で言えば、私の恐怖心の発端はどこにあるかというと、主に下記の2つだと言えます。

  • 落ちたらほぼ確実に死ぬ(というイメージ)
  • 落ちる可能性がどんなに低くても0ではない

飛行機側がどんなに安全性に配慮して、落ちる可能性を限りなく0に近づけてくれたとしても、私の頭の中のイメージを、その具体的で客観的な根拠は拭ってくれません。

ただ、実際に飛行機に乗っていない時であれば、そういった様々な情報は、しっかりと有効性を見せ、心配せずに飛行機に乗っていいんだよ、と私の背中を押してくれます。

しかし、いざ飛行機に乗り込み、飛び立ち、空の上に行ってしまうと、理解していたはずの「安全」がどんどんと離れていき、いつかテレビで見た事故の再現映像が頭をかすめはじめます。

バードストライク、エアポケット、油圧隔壁、エンジントラブル。

どこかで見聞きした単語が頭の中で回り始め、ちょっとした揺れにも心臓を持っていかれそうになります。

でも冷静になってみれば、それは全て私の頭の中の出来事で、言ってしまえば妄想でしかありません。

周りを見回せば、他の乗客の方はゆったりとリラックスしているし、空だって綺麗だし、CAさんは皆ニコニコと余裕たっぷりに仕事をしています。

多少大きく揺れても飛行に問題はないという機長さんのアナウンスも聞こえてきます。

ゆっくりと、恐怖が消えていくのを感じますが、小さな揺れにまた不吉なイメージが舞い戻ってきます。

イメージは不意の隙間にすぐに入り込んでくるので、飛行機ならば寝たり、音楽を聞いたり、読書に没頭したり、必要以上に恐怖を感じてしまうときは、隙間を作らないようにするのが良いのかもしれないですね。

 

情報が恐怖を作る

前項では、恐怖はイメージの産物だというお話をしましたが、それではなにがイメージの元になっているかというと、それは様々な情報です。

経験したこと、テレビで見たこと、伝え聞いたこと。

今まで得た様々な情報がイメージを形作っていきます。

わかりやすい例をあげると、ホラー映画を見た後。

今までなんともなかった暗闇がなんだかものすごく怖く思えてきます。

他にも残忍な殺人事件を扱ったニュースを見たり、残酷な小説を読んだ後、夜中にエレベーターに乗り込むとき、玄関のドアを開ける時、それまで以上に緊張していることに気付いたりします。

今まで存在しなかった恐怖が、新たに芽生えているのです。

これは恐怖に限らずですが、知ることで、今までなかったものが生まれると考えると面白いですよね。

実際に自分が経験したことでなくても、例えば知った内容が架空のものであったとしても、知ったことによって自分の中に新しい世界ができあがってしまう。

でもそう考えると、恐怖以外の感情に関しても、知ることによって変化した差分を強く感じても良い気がするのですが、あんまりないような・・・?

例えば、エレベーターでの殺人を新しく知ったとしたら、エレベーターが新しく恐怖の対象になりますが、教会での結婚式を新しく知ったからと言って教会が幸せの象徴に見えたり・・・しますね。しましたね。

幸福より恐怖の方がその瞬間の刺激が強いから、記憶に残りやすいのかもしれません。

それに、恐怖は自身を守るための本能が恐らく強く関係しているので、より感じやすいものとも考えられますね!

なんの話でしたっけ・・・(笑)

とにかく、新しく得る情報が、また新しい恐怖をどんどん生み出していく。

それじゃあ恐怖って増える一方なのでしょうか。

 

恐怖は増殖し続ける?

新しい情報によって新たな恐怖が追加されるとして、逆に恐怖がなくなることってあるのでしょうか。

私は基本的に、一度感じた恐怖が完全に消えることはないのかなと思っています。

知ってしまった情報は消えないし、イメージはどこかに残り続けると思うからです。

ただ、忘れたり、薄れたりすることはあるように思います。

それは例えば慣れだったり、逆に滅多に触れる機会のないものに対する恐怖だったり。

そういったものは、日常生活的にはもうないも同然と言えるかもしれないですね。

それでも恐怖はどこかに蓄積されていて、生きていくうちにどんどんどんどん増殖し続ける。

でも別に悲観することはないですよね。

良く考えたら、生きるってそういうことかなと思ったりします。

色々と経験して、知っていることも増えて、できることが増えていくと同時に、怖いものやできないことも増えていく。

だから、私は多分一生、飛行機も夜道も怖いままだし、他にも怖いものは増え続けるけど、負けずに生きていきます(笑)

 

 

なんだかちょっと脈絡がなくなってしまいましたが、今回はこのへんで終わろうと思います。

恐怖も幸福も、私の世界は全部、私の想像力の中にある。

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