アラサーニートの雑記帖

アラサーニートが感じたことや日々の出来事などを綴る雑記ブログです。

なぜ物語を消費するのか

私は昔から読書が好きで、今までにたくさんの小説を読んできました。

これからもまたたくさんの小説を読んでいくと思います。

しかし、同じ「読書」でも、ハウツー本は今までも恐らくこれからもほとんど読みませんし、雑誌の類にもそれほど食指が伸びません。

たまに小説などに、読めるものならなんでも、小説やハウツー本はもちろん、新聞でも広告でも説明書でも、本当になんでも読み漁ってしまう「活字中毒」の人物が登場することがありますが、それを見て思ったのは、私が好きなのは単に「読む」ことではないのだな、ということです。

それでは何が私の気持ちを惹きつけているのか。

それは「物語」です。

私は読書と同じように漫画や映画やアニメやドラマや舞台が好きです。

見る頻度こそ違えど、きっと私の中で同じベクトルにあるものたちだと思います。

皆さんの中で、小説・漫画・映画・アニメ・ドラマ・舞台のどれひとつとして好きじゃないという人がどれほどいるでしょうか?

物語。多くの人が共通して持つこの娯楽の魅力はいったいどこにあるのでしょうか。

今回は、なぜ人は「物語」に惹きつけられ、「物語」を消費するのか、このことについて考えていきたいと思います。

 

物語とは

そもそも物語とはなんなのか。

辞書にあたってみると下記のようにありました。

  1. さまざまの事柄について話すこと。語り合うこと。また、その内容。
  2. 特定の事柄の一部始終や古くから語り伝えられた話をすること。また、その話。
  3. 文学形態の一。作者の見聞や想像をもとに、人物・事件について語る形式で叙述した散文の文学作品。狭義には、平安時代の「竹取物語」「宇津保物語」などの作り物語、「伊勢物語」「大和物語」などの歌物語を経て、「源氏物語」へと展開し、鎌倉時代における擬古物語に至るまでのものをいう。広義には歴史物語・説話物語・軍記物語を含む。ものがたりぶみ。
  4. 歌舞伎・人形浄瑠璃の演出の一。また、その局面。時代物で、立ち役が過去の思い出や述懐を身振りを交えて語るもの。

  出典:デジタル大辞泉小学館

なかなかこれ!とは言えませんが、今回私が考えている内容としては2番目の意味が近いように思います。

特定の事柄の一部始終や古くから語り伝えられたことに関するお話、です。

 

現代における物語の形

物語は色々な形で世の中に溢れています。

冒頭で触れた小説や漫画、映画、ドラマ、アニメ、舞台などに加えて、ゲームのストーリーも物語ですし、ブログや2ちゃんねるなどのインターネット上で語られる出来事の顛末だって物語です。

友人との恋話や、主婦たちの井戸端会議で囁かれる噂話も物語と言えます。

こう考えると世の中物語だらけ。

誰もが様々な形で物語に触れて生きています。

 

物語は面白い

どんな形のものが好きかの違いは人によってあると思いますが、基本的に物語に魅力を感じるのは人間全体に共通することだろうと思います。

(もしも、「私はいかなる物語にも魅力を感じないです」もしくは「苦手です」「嫌いです」というような方がいらっしゃれば、ぜひ教えてください。お話を伺ってみたいです。)

では、物語のを面白いと感じるのは一体なぜなのか。

どうして私たちは物語を消費することを娯楽としているのか。

物語大好きな私が、ずーっと感じている疑問です。

 

私はなぜ物語が好きなのか

ひとまず、自分自身がなぜ物語が好きなのかを考えてみました。

しかし、いきなり「なぜ」を考えてもなんだか思考が堂々巡りしてしまったので、とりあえずどういう作品が好きかなぁと考えてみたところ、ひらめきました。

私は登場人物の心情を追ったり、想像することが好きなのです。

心情を緻密に丁寧に描いている作品や、淡々と物事を追いながらも登場人物たちの心情を思わず想像してしまうような余白のある作品が好きです。

人物の心情を追い、想像し、自身の気持ちをそこに寄り添わせる体験。一緒にドキドキしたり、喜んだり、空っぽになったりするその体験こそ、私が物語に求めているものだと思います。

それは言ってみれば、自分以外の誰かになることです。

自分以外の誰かの時間を生きて、知らない気持ちを感じたり、自分自身の思い出と重ねたり。

私にとって、物語の魅力はきっとそこですね。なんだかすっきりしました(笑)

 

ネットで調べてみました

個人的にすっきりしたところで、他の方はどう感じているのか、便利なインターネットで調べてみました。

  • 非日常を体験できる、自分以外のものを疑似体験できる
  • 人間の根源的欲求を満たす物語を面白いと感じる

色々と見て回ったのですが、1番目にあげた疑似体験というような切り口のものが多かったように感じました。

さらに掘り下げて、その疑似体験を面白く感じる理由として、生き残るためのシミュレーションをするため、そういった体験を面白く感じるようになっている、という風に説明されている方がいて、なるほどと思いました。

また、2番目の説は若干問いとずれる気もしますが、面白かったので。

この方はまず昔話に焦点を当てられていて、物語というのは語り伝えられていくもので、その中でより「面白い」と感じられるように修正が加えられていく性質があり、つまり、人間の根源的欲求を満たすように、面白いと感じるように出来上がっていくものである、ということでした。

ちょっとまとめが上手くできなかった感じがするので、元記事を貼っておくので、良ければそちらを読んでみてください。

mt-hy.com

 

物語を消費するのは食事をするのと同じなのかも

ここまで調べて考えてみて、物語はただの娯楽ではなくて、心や人生を形作っていく糧でもあるのかなと思いました。

物語を消費することは、食事をするようなもので、生きるために必要があるから、それを面白い、楽しいと感じられるように設計されているのかな、と。

だとすると、美味しいものを食べて、素敵な夢を見て眠って、大好きな人と気持ちの良いセックスをしたいのと同じくらいの強さで、みんなが面白い物語を求めているのでしょうか。

物語が全くない世界で、人はどうなるのかちょっと気になってきました。

なにか実験とかできたりしないかな・・・。

でも、物語って頭の中でも生み出せますもんね。永久機関すごい。

でも、外から入ってくる物語が全くなければ、頭の中で生み出すことも難しかったりするのかな。

このテーマでひとつ物語が出来上がりそうですね(笑)

 

 

さて、今回は物語について考えてみました。

そういえば、消費することについてばかり書きましたが、面白いと思われる物語を生み出したいという欲求も、多くの人が持っているのかなと思います。

恥ずかしながら、私もその一人です。

この欲求はどこから来てるのかな。

そのあたりも考えてみると面白そうですね。

皆さんにとって「物語」はどういうものですか?