アラサーニートの雑記帖

アラサーニートが感じたことや日々の出来事などを綴る雑記ブログです。

長生きすること、生きていくこと

今回はちょっと取りとめのないお話です。

私のすごく個人的な気持ちや考えをひたすら書き出してみます。

 

私の実家には、同居している祖母がいます。

祖母は70代で、数年前まで仕事も家事もし、車にも普通に乗っていたのですが、一度脳梗塞を起こしたことを皮切りに、今では糖尿病をはじめ腎機能の低下や骨粗しょう症など、様々な病気を併発し、入退院を繰り返すようになってしまいました。

脳梗塞をきっかけとして、軽い認知症もあるようで、怒りっぽくなり無気力になりました。家にいるときはリビングでテレビをつけたままボーっとしていることがほとんどで、たまにお菓子を食べようとしては、母に注意され声を荒げています。

ゆっくりですが歩けますし、料理もまだ一人でできなくはないのですが、食べること(食べ物自体にはこだわらない)以外のほとんどに興味を失ってしまったようで、週3回のデイサービス以外はただじっと日々を過ごしている様子です。

それでも、デイサービスにでかける際は、おしゃれな服に着替え、化粧さえ施して出かける祖母を見ると、切なくなるものがあります。

 

一方、先日たまたま何人かの親戚に会う機会があったのですが、祖母の兄妹たちや、同年代や年上の方たちでも、まだ農作業に出たり、毎日旦那さんのためにおいしいご飯を作ったり、元気に過ごしていらっしゃる方がほとんどでした。

祖母と他の方たちとの間にある違いはなんなのか。

病気をしてしまったことが一番大きな違いであるとは思うのですが、あとは、伴侶の存在や、趣味などのモチベーションの違いが大きいのかなと思いました。

 

祖母の夫にあたる私の祖父は、30年ほど前に亡くなってしまっており、祖母はそれからずっと私たちと一緒に暮らしてきました。

ただ実は、祖母は私の母の実母ではなく、叔母にあたります。

母の実母は、母が中学生くらいの時に病気で他界しており、その妹であった祖母が後妻に入る形となりました。

つまり、母は祖母の娘ではなく、実際は姪にあたる間柄なのです。

だからといって、普段は母も祖母もそのことで特にギクシャクしたり、気まずくなるようなことはなく、私たち孫も含め、仲良く、でも普通に喧嘩もできるような、家族としての関係を築けていたと思います。

ただ、今思えば、寂しくなるようなこともあったのではないかな、と思うのです。

私はまだ結婚もしていませんし、子供も甥姪もいません。両親も健在です。それぞれに対してどういう気持ちを抱くのか、祖母の立場になったときどういう気持ちになるのか、なかなか想像も難しいのですが、自分が歳を取り、病気で徐々に自分が弱っていき、動けなくなるのを感じる中で、自分の親や夫や実の子供もいない、という状況は、時に孤独を深めてしまうのかなと感じてしまう部分があります。

 

私はここ10年ほどずっと実家から離れており、その間に祖母は現在のような状態になってしまい、今となっては、病気になる前の祖母がどんな風だったか、どんな風に接していたか、あまり思い出すことができません。

普通に一緒に食卓を囲んで、仕事や料理もテキパキとこなしていた祖母の姿が思い出としてはあるのですが、それが今の祖母の姿と繋がらず、自分の中でうまく消化できていないような感じです。

これから私の中で、祖母という存在が、今の姿でどんどん上書きされていくのだろうと思うと、長生きするのは怖いなという気持ちになったりします。

 

私は今は、幸運なことに健康ですし、こうして文章を書いたり、人と話したり、日常のことを自分でやって、自分の意思で選択したり、自分自身の良いと思うキャラクターや性格を目指して、ある程度それに基づいて生きることができます。

そして、アラサーで歳を取ったなと思うことが出てきても、一般的にはまだそこそこ若いし、まだこれから先のことに思いを馳せ、希望を抱くこともできます。

でも、これから歳を重ねて、老いていき、病気や怪我が増えたりして、家族や親しい人たちに迷惑をかけたり、自分がこうありたいと思えるような性格ではなくなった姿を見せなければならなくなるのかもしれないと思うと、それはとても怖いなと思うのです。

祖母が、病気になる前まで生きて築いてきていた、明るく頑張り屋で楽しい人物像が、怒りっぽく無気力になってしまった姿で上書きされていくように、人生の晩年、積み上げたものが目の前で崩れていくのを、なにも出来ずに眺めているような状態にならないとは限らないんですよね。

 

私は人生自体に意味はないと思っていますし(なにか意味を見出せるように生きたいと思ってはいるのですが)、老いていくことへの恐怖もあるので、今は割と、好きなことをして、そんなに長生きせずにぱっと死ねたら良いのかな、なんて考えているのですが、死への恐怖も普通にあって、長生きしなくて良いと言っても、じゃあ何歳までに死にたいとかも特にない状態です。

だから、今のままの気持ちで生きるなら、病気か事故か老衰で死ぬまで、だらだらと生きるのだろうなと思います。

ただもしこれから子供を持てたりするならば、もしかしたら生きる心持はまた変わるのかもしれないなとも思ったりもします。

今の私はまだ、長生きに耐えられるというか、長生きしたいと思えるようなところまできていないのかもしれません。

それは人間関係や仕事や趣味や、なにかを突き詰められていない甘さもあるだろうなと思います。

「長生きしたい」と思えることが良いというのが正しいかどうかわからないですし、正しいか正しくないかという尺度が当てはまるかさえわからないのですが、どうせ生きるのであれば「長生きしたい」と思えるように生きる方が、多分幸せなのかなと今は考えています。

 

人はみんな、生きて死ぬしかないですし、その間で幸せな瞬間があって、でも多分その何倍も辛かったり、空っぽなときがあるだろうと思います。

生きて、老いていくことの恐怖に勝るくらいの強さで、それでも長生きしたいな、と思えるように、これから生きていきたいなぁとぼんやり思ったりする梅雨の一日でした。