ジャム、ブログ再開するってよ
ほぼ毎日書き続けてきたブログでしたが、先月の半ばから丸1ヶ月更新が途絶えてしまっていました。
今回はその間なにをしていたのかや、これからのこのブログのことに関して書いていきたいと思います。
正直、そんなに面白い内容ではないと思うので、読み飛ばして頂いても構いません。
簡単に言えば、これからまた書いていきます!という再スタートへの宣言です。
更新停止のきっかけ
まず、そもそもなんで急に更新しなくなったのかということについてですが、きっかけは、母が一週間ばかり体調を崩してしまい、色々と手伝い等で忙しくなったことと、丁度時期を同じくして使っていたPCが起動しなくなってしまったことでした。
特にPCの故障が大きく響きました。
それまでもフリーズしたり、急に落ちたりと不調ではあったのですが、しばらく放置したり、再起動したりで騙し騙しでも使うことができていました。
しかし、このときはもう電源が入らなくなってしまい、スタートアップ修復などを試すも回復できずで、完全に故障してしまったようでした。
そんなこんなで忙しさとPCの故障にやられて3日間ほど更新できずにいるうちに、いつの間にかモチベーションが完全に低下してしまい、そこから1週間、10日、そしていつしか1ヶ月も更新が止まってしまうことになりました。
ブログを書いていない間の生活
そんなこんなで思わぬトラブルと持ち前のサボり癖でブログから離れてしまっていたわけですが、その間やっていたことを簡単に書いてみます。
主には家事や、病院・銀行などへの送り迎えやお遣い、あとは飼い犬のさくらの世話をしていました。
母が体調を崩していた1週間ほどは結構忙しかったのですが、正直その後はゆるゆるの生活で、またブログを始める以前のただの引きこもりニートになりつつありました。
あとはハローワークに行ったり、一人でお茶をしたり、母と買い物に行ったり、母とお茶会(お抹茶)に出てみたりして過ごしていました。
同居している母も弟も結構リア充さんなので、寂しく虚しく感じることも多かったです。
ブログを書いているときも、ブログを書いているからなんなのだろうという気持ちがなくはなかったのですが、書かなくなってしまうと、さらに私はなんなのだろうという気持ちが強くなりました。
しかし、ブログを書かなくなったことで、精神的に楽になった部分もあって、自分の中で楽しみながらも負担になっていた部分もあったことに改めて気が付きました。
自分の中で、仕事でもなく趣味でもなく、義務化してしまっていたところがあって、それが心の中でひっかかっていたというのもあったのだと思います。
書いて、読んでもらって、色々と反応を頂いたりして、その動向に一喜一憂しながらも、ブログを書くという行動の出口をどこにもイメージすることができずにいたように感じます。
今回、1ヶ月という長い間ブログをお休みして、時間と気持ちに余裕ができても結局なにも出来ていない自分に改めて気付かされました。
これからのこと
というわけで、しばらくブログから離れていた私ですが、せっかく数ヶ月続けてきたブログなので、これからもう一度書き始めようと思います。
内容は今までと変わらず、日常のことや読んだ本や見た映画などのレビューを中心に気ままに書く予定です。
また、更新頻度ですが、しばらくは今までのように毎日更新などの約束を設けずにおこうかなと思います。
自分に甘くて申し訳ないのですが、一度自分の中でのブログに関する色々な「義務」や「約束」を取っ払ってみて、そこでどういう風にやっていけるかを探っていきたいなと思います。
というわけで、少しスローペースになるとは思いますが、またブログを書いていきますので、今まで読んでくださっていた方、これから読んでくださる方、改めてよろしくお願いします。
今回久しぶりすぎて、ブログってどうやって書くんだっけ、こんなんでいいんだっけと悩んで、これだけの記事を書くのにかなり時間がかかってしまいました。
書きながら、また読んでもらえるだろうかと不安になったりしました。
しかし、放置している間にも、アクセスを頂いたり、スターを付けて頂いたり、読者登録して頂いたりとなにかしら反応を頂いていて、また、それまで読んでくださったたくさんの方を思い出して、それが再開するのにとても励みになりました。ありがとうございます。
今回は、私自身再スタートへ気持ちをきちんと切り替えるために、面白みのない自己満足な記事になってしまいましたが、次回からはまた読んでくださる方にも楽しんでいただけるよう考えながら書いていこうと思いますので、良ければまたよろしくお願いします!
【今週のお題】どこに行きたいだろう?想像の中にいつも
これを書いている今。私はちょっと落ち込んでいます。
今より数時間前に、1時間くらいかけて途中までこの記事を書いていたんです。
しかし、途中でPCが止まるようになり、ついには完全に動かなくなり、私は諦めて一旦作業を辞めることに。
そして数時間たち、今。
画面が真っ暗から動かないので、再起動したんですよPC。
そしたら、もう皆さん想像ついてると思うんですけど、消えてたんですよ、私の1時間の努力の結晶が・・・。割とすいすい書いていて途中で保存するのも忘れていたようで・・・。
というわけで、中盤あたりまでは記憶を頼りに復活させました。若干違うのはわかるのですが、どう違ったかはもう定かじゃないのでこれで良しとします。
ちなみにこの序文は後で書こうと思ってとばしていたので、書くネタができてよかった。よかった・・・。
次からは頻繁に保存しようと心に決めながら書いた、私の記事をどうぞ読んでください!
今週のお題「行ってみたい場所」
行ってみたい場所。魅力的なお題ですね。
どこに行こう。なにしよう。考えるだけでワクワクしてきます。
行ってみたい場所。考えてみました。
行ってみたい場所①海外
ざっくり。
私は海外にはほとんど行ったことがない(台湾に一度行ったことがあるだけ)ので、海外旅行への憧れってやっぱり大きいです。
バリ島にボラボラ島、ハワイやグアムなんかのビーチリゾートもいいですし、タイやフィリピンなんかの東南アジアの国でまったり過ごすのもよさそうです。
あとはアメリカ。ニューヨークやブロードウェイなんかのザ・観光地ってところを観光客感満載で楽しみたい。アメリカンな空気で元気をもらえる気がしますし。
イギリスやフランス、ドイツなんかのヨーロッパの国々も素敵ですよね。あの美しい町並みをぶらぶら散歩したりして。
なんだかふわふわして具体的にならないのは、海外旅行というのが私にとってちょっと非現実的過ぎて、あんまりちゃんと調べたりしたことがないからなのでしょう。
まだしばらくは多分「憧れ」のままの、私の行ってみたい場所たちです。
行ってみたい場所②テーマパーク
こちらもざっくり。
数年前に、十年以上ぶりで東京ディズニーランドに行ったのですが、午前中から閉園時間までエンジョイしまくったのは本当に良い思い出です。
また、前職では仕事の関係であるテーマパークに結構よくお邪魔していたのですが、仕事でありながらも、やはりテーマパークそのものにワクワクする空気があって、毎回行くのがとても楽しみでした。
というわけで、テーマパークいいですよね。
日常の中に作られた非日常の場所。明るさと哀愁を併せ持ったような雰囲気も好きです。
今特に行きたいのは、行ったことのないディズニーシーとUSJ、あとは九州民としては今年いっぱいで閉園してしまうスペースワールドも最後に行っておきたいような気がします。
他にも花やしきなんかも風情があって良さそうですよね。
でもやっぱりディズニーランドがものすごく楽しかったので、今の一番はディズニーシーかなぁ。
テーマパークデートしたいですね。
行ってみたい場所③知らない町の街角や公園や商店街や路地裏
またまたざっくり。
どこに行ってみたいかなぁと思って考えていると、頭に浮かぶ映像があって、それって、どこにでもありそうなんだけど初めて訪れた知らない町の、どこにでもありそうだけどやっぱり知らない街角とか公園とか商店街とか路地裏の風景なんですよね。
慕情と好奇心が一緒に刺激されるような、そんなちょっとした新しい町に色々行ってみたいなぁ。
別に遠いところじゃなくても良くて、例えば電車で一駅先の、降りたことのない、ただのベッドタウンの町だったり、いつも曲がる角を反対方向に進んでみた先にある風景だったり、そういうのなんだか好きなんです。
逆に飛行機で行く距離の場所にも、見たことのある駅前の景色があったり、そういうのもいいですよね。
ただぶらぶらと歩いて、気になったお店を覗いたり、よくわからない祠に軽く手を合わせたり、寂しい公園でちょっとベンチに腰掛けたりしたい。
そういうのなんだか好きなんです。
海外やテーマパークの非日常に惹かれる一方で、どこにでもありそうでそこにしかない日常にも溜まらなく魅力を感じます。
行ってみたい場所を考えるとき、いつも
こうやって書いてみると、なかなか具体的にここ!っていうところは私には今はないんだなと、改めて思いました。
行ってみたい場所はふわふわしているのですが、どこに行くことを想像しても、いつも隣には恋人の姿を勝手に思い描いています。
彼と行ったら楽しそうだな、一緒にこれを見たいな、こういうことしたいな。
家族や友人と素敵な体験をしたときには、彼にも見せたかったな、一緒に来たかったな、といつも思います。
実際には、家族や友人と出かけても、もちろん楽しい時間を過ごせますし、それはそれで、恋人と過ごすのとはまた違った楽しさがあります。
それでもやっぱり、行ってみたい場所を考えるときはいつも、あの人と行くならば・・・と想像は膨らんでいくのです。
今回は色々と行ってみたい場所を考えて、想像だけで楽しかったです。
実際の旅行でも、行き先や行程を考えているときって特別に楽しいですよね。
これから行ってみたい場所、いくつ制覇できるかなぁ。
皆さんの行ってみたい場所はどこですか?
犬と散歩する夕方
実家に戻ってきてから、犬のさくらの散歩が私の日課に加わりました。
加わりました、というか、一人暮らしの頃は日課らしい日課はなかったので、「日課」というものが新しくできた感じでしょうか。
一人と一匹、連れ立って歩いていると、なんとなく心が穏やかに凪いでいくのを感じます。
今回はそんな、犬の散歩に癒されている私の心境やエピソードを書いていこうと思います。
静かで、懐かしくて、孤独で、温かい
散歩に出るのは大抵15時~17時の間くらい。
真昼は暑いですし、日が沈んでしまうと危ないので、夕方のこのくらいの時間が一番散歩しやすいからです。
夕方の中途半端な時間。実家周りの住宅街はそんなに人通りがありません。
たまにすれ違うのは、下校している小学生か、私と同じように犬を連れたおばさまやご老人方。
私と同じくらいの年代の人と会うことはほとんどありません。
最初の頃は散歩コースを色々と変えて試行錯誤していましたが、ある時ふと、そういえば通っていた小学校への通学路を通ってみようと思い立ち、そちらに向かってみました。
都合の良いことに、通学路はそこまで車が通りませんし、行きと帰り、別の道を通ることができ、時間的にも調度良かったので、それからは小学校の通学路をぐるっと周るそのコースが、私たちのお散歩コースに決まりました。
人通りの少ない、夕暮れ時の通学路を、てくてくと、時々走ったり、急に止まったりするさくらの歩調に合わせながら歩いていると、この世界に自分とさくらしかいないような、不思議な気持ちになります。
それはひどく孤独で、寂しくて、でもなんだか満たされているような、不思議な感覚です。
道端の雑草に気をとられているさくらをじっと見ていると、ふいに顔を上げて私に視線を送ってきます。
いこっか。そう呟いた私と同じ、ゆっくりとしたテンポでさくらが歩き出します。
雲を照らすオレンジの光が、なんとも言えない美しさで、傍らにさくらの身体の振動を小さく感じながら、そんな夕暮れの空をぼんやり眺めて歩く。
はしゃぎながら通り過ぎる小学生を笑顔で見送って、犬を連れたおばさま方と二言三言会話を交わし、それでも世界には私とさくらしかいないような気がしている。そんなひと時。
車が通り過ぎて、少し遠くでどこかの犬が鳴いていて、踏切が鳴っている。ふと、作りかけた夕食の匂いが鼻をかすめていく。生活の気配が温かい、やさしい孤独な時間が、私の中の小さな傷を、ゆっくりそっと癒してくれているような気がする。そんなひと時です。
【ちょっとした話①】小学生の会話
散歩中、数人の小学生とすれ違った私とさくら。
さくらの方を見ながら、こんな会話をしていました。
男の子①「おれ、犬は苦手だけど、柴犬は好き!」(※さくらは柴犬です。)
男の子②「一理ある。」
一理ある。
予想外の相槌に、内心ふふっと笑ってしまいました。
小学生の頃って、ちょっと難しい言葉を使ってみたくなったりしますよね。
一理ある。今度どこかで使おう。
【ちょっとした話②】ハザードつけっぱなしの車
散歩中通りかかったあるお宅で、ガレージに停められている車のハザードランプが点滅しているのに気が付きました。
ちょっと車の中を覗いてみるも、車内に人影はありません。
このまま明日の朝とかまで気付かなかったらバッテリーあがっちゃうかもしれない。
教えてあげたいけど、どうしよう。
家人が出てきたりしないかと少しの間あたりを見回してみましたが、そんなタイミングの良いことはなく、相変わらず目の前ではハザードランプが明るく点滅を繰り返しています。
車があるってことは、多分家の中に誰かいるはずだし、チャイムを鳴らして教えようか。でも余計なお世話かな・・・。
家の前をウロウロしながら考えている私は明らかに不審者です。
悩むこと数分、道の向こうからおばさんが歩いてきます。
さも、犬が動かないのでちょっと立ち止まっていますよ、という風を装って、軽く会釈を交わします。
可愛い犬ですね。ありがとうございます。
おばさんをやり過ごし、さらに悩むこと数分。
いいや、いっちゃえ。
門扉をくぐり、ドアのチャイムを鳴らします。
ドアホン越しに用件だけ伝えればいいや、と思っていたのですが、10秒ほど待っても応答がありません。
いないなら仕方ないか。内心少しほっとしながらドアの前を離れようとしたその時、目の前のドアが開き、おじさんが顔を出しました。
おじさん「はい」
私「あ・・・あの。通りかかった者なんですけど、車のハザードがつきっぱなしで、気になったので・・・」
おじさん「あー・・・ありがとうございます」
私「失礼します!」
緊張で若干しどろもどろになりながらも、とりあえず用件は伝えることができました。
おじさんの反応が薄く、いきなり知らない人が犬連れてやってきて、やっぱり迷惑だったかな・・・と思わなくもないですが、その後ハザードは無事に消されたようなので、まあよしとしようかなと思います。
おじさんの心境はわかりませんが、私としては良い事したな、と自己満足に浸りつつ帰路についたのでした。
今回は、犬の散歩にまつわる心情やエピソードを書いてみました。
外に出て、ゆっくり歩くというのはやっぱりいいなぁと最近改めて感じます。
特に仕事を辞めて、実家に戻ってきてから、友達もほとんどいなくて、ほぼ家族としか話さず、家でずっとPCを眺めていたりしたので、外でゆったりと景色を見て、色々感じて、たまにちょっと知らない人と話したりする習慣ができたのは良い事だなと思っています。ありがとう、さくら。
明日からちょっと寒くなるみたいだけど、明日も一緒にお散歩行こうね。
【今週のお題】お弁当三景
10月に入り、秋の気配がぐっと近付いてきていると思い始めた矢先、真夏のような暑さにちょっとぐったり気味のアラサーニートです。
皆さん、体調など崩されていませんでしょうか?
さて、今回は「今週のお題」に沿って書いていきます。
今週のお題「お弁当」
今週のお題は、みんな大好きお弁当。
みんな大好き、とか書いておきながら、私お弁当ってあんまり好きじゃないのです。実は。
温かい状態で食べたい、というのがその大きな理由です。
なので、逆にいえば、ほっともっとなどの温かいお弁当や、レンジで温めなおせる状態であれば、最近はそんなに抵抗はなくなりました。(ほっともっとのお弁当は今は大好きです。)
そんな私のお弁当に関するエピソードを3つ書いていきたいと思います。
オムライスやサンドイッチ、青春自体を支えてくれたお弁当
私は中学、高校とどちらもお昼はお弁当の学校に通っていました。
お弁当は主に祖母と、そして母が作ってくれていて、計6年もの間、平日はほとんど毎日、お弁当が用意されていました。
私は普段から小食で、かつ冷えたご飯があまり好きではないことを祖母も母もわかってくれていました。
ちなみに白ご飯自体は大好きですし、コンビニのおにぎりは当時から平気でおいしく食べていたので、なんの思い込みなのかわからないのですが、お弁当に入れられた冷えた白ご飯が、当時の私は好きではありませんでした。
ある時お弁当に入れられていたケチャップライスを薄い卵で包んだオムライスは、冷えていてもなぜかおいしくて、そのことを伝えるとお弁当のレギュラーメニューになりました。
また、もともと温かい食べ物ではないサンドイッチもよく作ってくれていました。
お弁当がそんなに好きではない私でもおいしく食べられるように、祖母も母もいつも考えて、毎日朝早くから準備をしてくれていました。
あの頃は、そんな二人の苦労を差し置いて、やっぱりお弁当はあんまり好きじゃないな、なんて思って食べていましたが、今思うと、本当に有難かったなと思います。
毎日遊んだり、しゃべったり、運動したり、勉強したり、恋したり、悩んだり忙しく生きていたあの青春の時間を元気に過ごすことができたのは、二人のお弁当のおかげです。ありがとう。
忙しい二人、夜遅くに食べていたほっともっとのお弁当
社会人になってから、しばらく恋人と同棲のような生活をしていた時期があります。
私も彼も仕事がそれなりに忙しくて、終わる頃には結構遅い時間になっていることも多くありました。
彼はその頃在宅で仕事をしていることが多く、そういう日には私が帰りがけに彼の分も一緒にお弁当を買って帰ります。
何にする?何がいいかな?今これが安いらしいよ?じゃあそれにしようかな。
そんなやり取りが当たり前にあることが、なんだかとても幸せだったのを覚えています。
ついでに近くのコンビニで、飲み物とアイスを買って帰ることもありました。
彼の好きそうなものを勝手に選んで、片方にほっともっとの袋、もう片方にコンビニの袋を持って、ただいまと玄関のドアを開けます。
おかえり、ありがとう。と彼が荷物を受けとって、早速テーブルの上に買ってきたばかりのお弁当が並べられていく。その時間がとても好きでした。
のり弁、からあげ弁当、チキン南蛮弁当、肉野菜炒め弁当。
温かいご飯と、温かいおかず。そして目の前に大好きな人がいて、くだらないことを話しながら一緒に食事をする。こんなに幸せなことはない。
ほっともっとのお弁当は私にとって思い出深い食事のひとつになっています。
初めて作ったお弁当とこれから作るお弁当
前職についてしばらく経った頃、ふと思い立ってお弁当を持っていくことにしました。
仕事も家事もがんばる私的なものに憧れたんだと思います。
しかし、そもそもお弁当がそこまで好きではなく、作ったことも皆無だった私は、何を作ればいいのかよくわかりません。
そこで考えた結果、フレンチトーストを持っていくことに決めました。
フレンチトーストなら普通に作って切って持っていけばいいし、冷めてもおいしいし、ボリュームもあって他のおかずもいらないし。そう思ったのです。
前日の夜から牛乳と卵液につけておいたパンを朝から焼いて、いい感じの大きさに切って、グラニュー糖を少しふって、容器につめました。
彩りも栄養もなにも考えていない、お弁当と言って良いのかさえ微妙な代物でしたが、私にとっては確かに初めてのお弁当でした。
作っているときの微かな高揚感と、中身はわかっているのに開けるときに感じたワクワク感、そして食べた時のちょっとした幸福感。
お弁当って楽しいかも、とちょっと思いました。
ただ、結局それから気が向くこともなく、私が作ったお弁当はあのフレンチトーストが最初で最後になっています。
もしもこれから、私が新しい家族を作ることができたら、その時は昔の祖母や母のように、食べる人のことを思いながらお弁当を作ってあげたい。
私が次にお弁当を作るのは、いつだろう。
今回は、私のお弁当にまつわるエピソードを綴ってみました。
こう振り返ってみると、高校を卒業してからは、お弁当と言っても手作りのものを食べる機会って全くなかったなと思います。
普段の食事でもそうなんですが、自分ひとりのためだとどうしてもがんばろうって気持ちが出辛くって、お弁当だと特に手間と時間がかかるので、ほとんど接点なく過ごしてきました。
でも、たまにはお弁当を作ってみるのも良いのかもしれない、そんな気持ちになりました。
大事な人のために作れたら、幸せかもしれませんね。
【映画】『僕のワンダフル・ライフ』を見ました
ここ2日間ほどPCが起動せずにブログを更新できずにいましたが、やっと今日復活したので書いていこうと思います。
連休中に見た公開中の映画のレビュー記事です。
いつも通り母親に誘われて劇場へ。
『ダンケルク』と『僕のワンダフル・ライフ』の2つが候補にあげられていたのですが、レイトショーで見るということと、昼間に外出して疲れていたので、見るのに体力を使いそうな『ダンケルク』は今回は却下させてもらって、『僕のワンダフル・ライフ』を見てきました。
僕のワンダフル・ライフ(2017年 / アメリカ)
W・ブルース・キャメロンによるベストセラー小説『野良犬トビーの愛すべき転生』を原作に、『HACHI 約束の犬』などで知られるラッセ・ハルストレム監督が映画化。
一頭の犬が何度も生まれ変わり、様々な飼い主との生涯を過ごしながら、自分の生まれた意味を探すハートウォーミングドラマ。
あらすじ
雑種の野良犬として産まれ、保健所で短い生涯を閉じた一頭の犬。
気付くと彼はゴールデンレトリバーに生まれ変わっていた。
ブリーダーの元に産まれた彼だったが、脱走したところを人間に見つかり、転売目的でそのまま連れ去られる。人間たちが食事の間車内に取り残された彼が暑い車内でぐったりしていると、少年イーサンに見つけられ、命を救われる。
無事にイーサン達家族のもとで飼われることとなった彼はベイリーと名付けられた。
少年から青年へと成長していくイーサンの傍らには、いつもベイリーがいた。
いつしかベイリーも歳をとり、病に倒れ、最後は駆けつけたイーサンや家族に見守られながら幸せな一生を終えることとなる。
しかし、ベイリーの魂は消えず、また別の犬として生涯を始めることに・・・。
様々な飼い主のもとで何度も犬としての生と死を繰り返しながら、ベイリーは自分の生まれた意味・生きる意味を見出していく。
感想
まず、主人公犬のベイリーがゴールデンレトリバーやシェパード、コーギーなど、色々な犬種に生まれ変わるので、犬好きにはたまらない作品でした。
どの子も本当に可愛くて、賢くて、単純に犬っていいなー、犬と一緒の生活っていいなーとなりました。
ストーリーとしては、短編連作に近いかなと思います。
イーサンとベイリーの絆が根底にありながら、ベイリーの生まれ変わり達とその飼い主達のストーリーが短編映画のように流れていきます。
生まれ変わっていくので、必ず死んでしまうシーンがあり、わかってはいるのですが毎回泣いてしまいました。
笑って泣けて、犬と人間との絆はもちろん、人間同士のドラマもきちんと描かれていて、良い作品だったなと思います。
※ここから先は物語のネタバレを含みます。未鑑賞の方はご注意ください。
イーサンとベイリーの絆
この作品では、ベイリーは何度も生まれ変わりながらも、最後には、はじめに自分を助けて、一生愛してくれた大好きなイーサンの元に戻ってきます。
作中でベイリーはイーサンも含め4組の飼い主たちと出会いますが、イーサンとの物語は、特に丁寧に描かれています。
幼いイーサンに命を救われ、お互い小さい頃から一緒に暮らし、時に嬉しいことがあり、辛いことがあり、悲しいことがあり、楽しいことがあり、そんな一生をベイリーは犬として精一杯イーサンと一緒に生きていきます。
ベイリーが家族の留守中に家の中をめちゃくちゃにしてしまったり、食べてはいけないものを食べてしまったり、ふとしたきっかけで走り回って場を乱してしまったり、犬を飼っている人からするとあるあるなお約束も描かれていますが、そういった事態の度に、まだ幼いイーサンとベイリーとの絆が深まっていく様子がほほえましいです。
また、イーサンの家族は父親が原因で荒れていき、イーサン自身もある出来事をきっかけに一時荒んでしまいますが、子供の無邪気さを抜け、青年、そして大人になっていっても、ベイリーという存在がイーサンをしっかり支えていたことがわかります。
働いたり、遊んだり、癒したり、疎まれたり
ベイリーはゴールデンレトリバーとしての一生を終えた後、独身の警官に飼われる警察犬のシェパードのエリー、寂しい女子大生に飼われるコーギー・ティノ、そして不良カップルに飼われる大型犬と生まれ変わっていきます。
犬である彼(時に彼女)は、飼い主によって様々な一生を送ることになります。
警察犬として働き、警官の孤独に寄り添い、女子大生に癒しを与え、恋の手助けをし、自分も恋に落ち、可愛いといって引き取られるも疎まれ、外に繋がれ、無責任に捨てられる。
与えられる餌も環境も、犬達には選べません。
彼らは彼らの与えられたものの中で、それでも健気に生きている。
もちろん、この映画の中の心の声は人間の想像に過ぎませんが、あんなふうにその時その時を楽しんで生きていてくれればいいなと思います。
そして、彼らがより幸せに生きるために、飼い主として、人間として、できる限りのことをしてあげるようにしたいなと思いました。
犬は話さないけれど、きっと色々わかっている
この作品では、あからさまに犬をないがしろにしていたのは最初にベイリーを連れ去った男達と不良カップルくらいでしたが、イーサンの父親は自身のイライラや失態をベイリーのせいとしてきつく当たっていましたし、イーサン自身父親には逆らえず、ベイリーが冬場に寒い小屋に繋がれるのを阻止できずに、結局ベイリーは自分の力で温かい部屋に戻ってきます。
犬は話せないし、余程本気にならない限り、人間のほうが上の立場にあることが多いです。
でも、だからこそ、話せないだけで、犬には犬の、それぞれの意思や命があることを忘れてはいけないし、人間側の気持ちや都合を押し付けるだけにならないように気をつけなければいけないなと思わされました。
また、人間たちがどういう雰囲気でいるのか、犬たちはなにも言わないけれど、きっとわかっている部分があるはずだと思います。
人間同士のドラマの部分もきちんと作りこむことで、犬と暮らしていると感じるそういう繊細な空気を、よく伝えてくれる作品だったなと感じました。
見終わったら、犬を飼っている人ならきっと、自分の飼い犬のもとに早く帰りたくなるはずです。
映画の中の犬たちほど賢くはないけれど、うちの子が一番。
ベイリーに心から慕われ、愛されたイーサンのように、私も愛犬のさくらにもっと好きになってもらえるように、いっぱい愛情を注いでいきたいなと思います。
犬好きの方はもちろん、他の動物が好きな方や、お子さんのいるご家族など、いろんな人にオススメできる作品でした。
この日の夜に、さくらに布団におしっこをされて、やっぱり映画みたいに綺麗にはいかないなと苦笑いしながらも、こっちを見つめる顔を見るとやっぱりうちの子が一番だなと思ってしまうアラサーニートでした。
好きになった人はどんどん素敵に見えてくる現象
皆さん、好きな異性のタイプってありますか?
私は優しくて、会話が面白くて、頭が良くて、見た目は文化系の眼鏡とかカーディガンとか似合っちゃうような人が好みです。
しかし、今まで好きになった人を振り返ってみると、タイプはあくまでタイプ。
私の場合、特に容姿に関しては、実際好きになるのにそこまで関係ないなと思います。
もちろんイケメンは好きですよ。好きですが、その人に恋をするかどうかは、やはり中身次第だよなぁと感じます。
そして、中身を好きになってしまえば、なぜかどんどん相手の容姿まで良く見えてくるのです。
今回はこの好きになった相手がどんどんかっこよく・可愛く・素敵に見えてくる現象について書いていきたいと思います。
かっこいいな・かわいいなと感じる時には既に内面にも惹かれている
私の場合、好きになったパターンを考えてみると、基本的に友人として仲良くしているうちに、いつの間にか好きになっているパターンばかりです。
色々と話しているうちに、気が合うな、優しいな、頭が良いんだな、とそんなことで惹かれていくことが多い気がします。
接しているうちに、ふと、この人かっこいいな、かわいいな、と思う瞬間が出てくるのです。
そして一度そう感じると、余計にその人といるのが楽しくなって、余計にその人のことがかっこよく・かわいく感じられる瞬間が増えていきます。
つまり、かっこいいな・かわいいな、と感じるその時には、既にその人の内面に好意を抱いているのだと思います。
もちろん、容姿の整った方を相手に、初対面で綺麗な人だなと思うことはありますが、それとは違った感覚です。
誰かを好きになることは、相手の良さを見ようとするスパイラル
前述の通り、相手に好意を持ち始めると、相手のことがかっこよく・かわいく見えるようになってきます。
そして、かっこよく・かわいく見えるが故に、さらに相手のことが気になって、ちょっとしたことでさらに良く見えたりし始めます。
誰かを好きになるということは、相手のことがどんどん良く見えるスパイラルに入ることだなと感じます。
恋は盲目。あばたもえくぼ。昔から恋愛にはそんな格言がたくさんあるように、好意を持つことによって、相手のことをより良く捉えようとするフィルターができあがるのでしょう。
性格や行動に対する捉えももちろんそうですが、単純に見た目に関しても、だんだんと良く見えてきたりします。
私の今付き合っている恋人は、世間一般から見てもイケメンの部類に入りますが、好きになる前は、綺麗な顔だけど好みではないな、と思っていました。
しかし、話をして友人として親しく付き合うようになってくると、段々とこの人かっこいいな、かわいいな、と思うようになっていることに気が付きました。
今では恋人が一番かっこいいと思っていますし、本当にちょっとしたことで、なんてかわいい人なんだと感じます。
逆に世間的に見て別にかっこいいわけではない人を好きになったこともありますが、その時はその人のことをかっこいい・かわいいと感じていたことを覚えています。
恋愛に限らず好きな相手は良く見えるもの
ここまで、恋愛という観点で書いてきましたが、別に恋愛に限らず、友人やなんなら芸能人や政治家だって、自分が相手に対して好意を抱いていれば良く見えます。
逆に嫌いな相手であれば、どんなに綺麗な人だって、なんだか嫌な感じに見えたりするものですよね。
私は、この好きな相手が良く見えるというのは、素敵な現象だなと思っています。
自分の好きな人をより好きになれる、幸せのフィルターのように感じます。
時には相手の悪いところを見落としてしまったり、自分の都合の良い様に見てしまうという落とし穴もありますが、どうせこのフィルターは外せないのだし、無理に公平に見ようとする必要はないのかなと思います。
ただ、自分はこの人に好意を抱いていて(恋愛でも友情でもなんでも)、今この人に対してフィルターがかかっているのだ、ということはたまに思い出せると良いのかもしれません。
逆のフィルターも然りですね。この人に嫌悪感を感じていて、より悪く見えている部分があるかも、と意識しておければ、もしかすると少し冷静に相手を見られるようになる時がくるかもしれません。
そして、もしかして相手の良いところを意識して見つけようとすれば、そのうちにほんの少しでも、よく見えるフィルターがかかってくるかもしれません。
自分の気持ち次第で相手の見え方が変わるのであれば、好きな人がたくさん増えれば、世界は少し優しく見えるかもしれないですね。
なんだか話が飛んでしまいましたが、つまり言いたかったことは、好きな人はかっこいいし、かわいいし、素敵だし、より好きになっちゃうよねーということでした。
端から見ていると痛々しい勘違いのように見えることもあるかもしれないけれど、本人にとってはそれは幸せなことだなぁと私は感じます。
「・・・・・・どうかしてることを恋というのよ」と『ツ、イ、ラ、ク』(姫野カオルコ作)の隼子も言っていますし、誰かを好きになるってきっとそういうことですよね。
幸せな勘違いで、みんな幸せになっちゃえ。
【小説】池永 陽『珈琲屋の人々』を読みました
タイトルに「コーヒー」とか「珈琲」とか入っている小説が気になってしまうのですが、この現象はなんなんでしょうか。
村山由佳さんの『おいしいコーヒーのいれ方』シリーズとか、なんかこう、お洒落で素敵な雰囲気が漂ってくるんですよね。
さて、今回はそんな「珈琲」なタイトルに惹かれて読んだ小説のレビュー記事です。
(ちょっと辛めのレビューになっています。すみません。)
池永 陽『珈琲屋の人々』(2009年)
グラフィックデザイナーやコピーライターを経て小説家となった池永陽さんの作品。
東京の小さな商店街にある喫茶店「珈琲屋」。
父から受け継いだこの店を営む行介は、その昔とある事情から人を殺めた。
罪を背負い、罪と共に生きる行介のもとに、今日も様々な人たちが、様々な事情を抱えてやってくる。
熱いコーヒーが繋ぐ人間模様を描いた短編連作小説。
池永陽さんはだいぶ前に『コンビニ・ララバイ』という作品を読んでいて、それが結構面白かった印象があったので、タイトルとあらすじにも惹かれて手に取りました。
本作では「珈琲屋」という喫茶店を営む行介を中心に、商店街に住む人々と、あとは行介の起こした殺人事件に関わる人々の人間模様・心模様が描かれています。
正直なところ、ちょっと微妙だったかなと思います。
人物それぞれの最初の設定は悪くないように思うのですが、あまり掘り下げられずに、起こる出来事とその顛末もなんとなく現実味を欠いているように感じられて、イマイチ感情移入ができませんでした。
もちろん小説なので、ある種の嘘はあっても良いと思うのですが、この作品内での世界自体の作りこみが甘いように感じられました。
物語の表面をなぞっていくような感覚で、心の深くまで落ちてくる感じがしないような。
全体的になんとなく惜しいと感じる作品でした。
※ここから先は話の核心に触れる部分、ネタバレも含みます。ご注意ください!
行介の犯した罪と抱えた十字架
まず、本作で重要な設定が、行介が殺人をおかしているということ。
行介が殺した青野は悪質な地上げ屋で、商店街の中で地上げに特に強く反発していた自転車屋の当時高校生の娘・智子を暴行し、それを苦に彼女は自殺してしまいます。
犯行の証拠がなくその後も店主たちを脅し続ける青野でしたが、珈琲屋に来た際に、嬉々としてその犯行を語ったことに行介の怒りが爆発し、カウンター横の柱に頭を打ちつけられてその場で殺されることとなりました。
その後逮捕された行介は、一環して殺意があったことを主張し続け、障害致死ではなく殺人罪として裁かれ、約8年間の懲役となります。
模範囚であった行介には仮出所の話も出ますが、それも固辞して8年間服役し続け、出所後に、父のお店であった「珈琲屋」を再開することになりました。
商店街に戻ってからも、行介自身は人を殺した罪を抱え続け、自身が幸せになることにためらいを感じています。
一方で、青野の行為に迷惑し、傷付き、怒りを抱えていた商店街の人たちは、行介に対してある種の感謝の念を抱きながら、時に「人を殺した」という行介の特別な十字架になにかを見出そうとします。
「珈琲屋」という教会で神父である行介に訪れる人々が懺悔をする。そういったイメージの作品でした。
行介と冬子、朱美の恋愛模様
本作の一つの軸として、主人公である「珈琲屋」の主人・行介と、幼馴染でかつて付き合っていた冬子、そして行介が殺してしまった青野の元妻・朱美の三人の恋愛模様があります。
この3人の関係に関しては、収録された7編の短編のうち、主に最初と最後の2編を使って描かれているのですが、どうもすっきりしなかったです。
冬子に関しては、意に染まない結婚から抜け出し行介の元に戻るために不倫をしており、そのことをわざわざ自分で行介ににおわせようとします。
また、行介が冬子を想う描写では、とにかく冬子が美しいという表現は出てくるのですが、その内面に関しては詳しく触れられていません。
「美しい女性」で「行介のことをすごく好きである」という以外の情報がなにもないのです。
朱美に関しては、可愛らしいところのある女性ですが、子供までいるいい大人でありながら、行介に対して理不尽な申し入れをしたり、自分に好意を抱いてくれた人物を行介と天秤にかけようとするなど、こちらも感情移入し辛いキャラクターです。
なんというか、恋愛を主眼におこうとしながら、恋愛話の中心となるべき感情の部分があまり見えてこず、なにも心に残らずに終わってしまいました。
恋愛において「命のやり取り」をしようとする展開も、現実離れしすぎていて興醒めしてしまいました。
行介の殺人の十字架に対する葛藤も、台詞として出てくるばかりで、結局は確たるきっかけや決意もなくいつの間にか冬子が好きだと伝えまくっているし、どうも、なんだかなーと思ってしまって、うまく入り込むことができませんでした。
行介に懺悔する人たち
前述の通り、正直行介を中心に据えたお話はちょっと微妙かなと思いました。
しかし、行介があまり深く関わらず、行介の殺人という十字架や、人を殺した手、そしてその手で淹れられたコーヒーなどに勝手になんらかの意味を見出していく人たちの話は、面白いものもありました。
個人的には、老人カラオケサークルを通じての愛憎を描いた「すきま風」が一番心にくるものがありました。
気持ちの良い話ではありませんが、収録されているお話の中では、一番ご都合主義ではなく、物語として感情の起伏を味わうことができたなと思います。
他のお話も良いな、と感じる部分はあるのですが、展開や結論に強引さを感じてしまうところがありました。
最後までもう少し丁寧に物語をとじて欲しかったな、という惜しい作品が多かったように感じました。
今回はちょっと個人的に合わなかった部分が大きく、批判が多くなってしまいましたが、実はシリーズ化されていたり、NHKでドラマ化されていたりと割と人気作品のようなので、ハマる方にはハマるのかなと思います。
実際書評サイトなどでの評価は結構高めのようでした。
こんな風に書いておきながらあれですが、気になる方は読んでみてくださいね!